『真田丸』で家康を演じた内野聖陽 (C)NHK

「家康として、僕が真田家に対して常に念頭に置いていたのが、“たかが信濃の田舎侍。でも面倒くさいヤツら”ということです。のどにひっかかった魚の小骨みたいな(笑)」

 いくら敵役とはいえ、何十万石という大大名が真田と対等に対峙してしまうと、家康が小さくなってしまうと笑う内野聖陽。

「昌幸が武田信玄のもと、武藤喜兵衛と名乗っているころから、真田家には何度も煮え湯を飲まされているじゃないですか。家康にとって“真田といえば、憎き武藤喜兵衛”というくらいアレルギーだったんですよ(笑)」

 関ヶ原の戦いで大勝した家康は、敵側の西軍についた昌幸と信繁を“生き地獄を味わえ”と九度山に蟄居させた。

「昌幸に対しては、それまでの憤懣(ふんまん)やる方ない気持ちをあそこで炸裂させたわけです。僕的には最後の草刈さんの、すごく悲しそうな表情を見たときに“なんてひどい家康なんだろう”と思いましたけど(笑)。

 昌幸が亡くなって、世間では“草刈ロス”という言葉が出ましたけど、僕も同じでしたよ。それくらい草刈さんと対峙するシーンは楽しかったですから」

 その九度山を抜け出して、大坂城に入城した信繁=幸村。

「信繁については、34回の放送のとき、徳川に来いと誘うけど、断られるわけです。あのときは“チクショー!”とフラレた気持ちになりました。年令的には息子のような存在でもありますが、ある種の“恋”に落ちていた感じはあったと思います」