芸能記事が熾烈な戦いになってきたのは『フラッシュ』、『フライデー』など写真週刊誌が登場してから。

’86年のビートたけしのフライデー襲撃事件が大きな転機。『フラッシュ』『フライデー』とともに“3F”と呼ばれていた『フォーカス』が’01年に休刊するなど徐々に衰退していきましたね」(T記者)

 最後に、今も現役のYカメラマンが選んだ、記憶に残る「あの事件」「あの取材」を。

【社会記事】日本航空123便墜落事故(1985年)

「墜落現場の御巣鷹山にカメラ2台だけ持って、救助のヘリの音を頼りに、川の水を飲みながら登山しました。道もなく、マスコミ陣の何人もが遭難したと聞きます。そのうち折れた尾翼と数えきれない遺体が……つらい取材でした」

【皇室記事】小和田雅子さんを浩宮妃候補と報道(1981年)

「どこもノーマークだった小和田雅子さんを“お妃候補”として報道したのは本誌が初。当時、外交官として活躍していた雅子さんを8年間、留学先まで追いかけました。結婚が決まったときは別冊を出せるほど写真がありました」

【芸能記事】田原俊彦と中山美穂のデート取材(1989年)

「日比谷の某ショッピングモールに食事に現れた2人を直撃。カメラに気づいたトシちゃんがピースサインをするので近づくと突然、殴りかかってきた。最終的には事務所の謝罪があったので、大ごとにならなかったですが……」