「渋谷区のマンションの家賃は10万円を超えてて、家賃と最低限の生活費で月の収入は消えてしまうって感じだったと思います。

 所属事務所が固定給か歩合給だったかは聞いていないですが、どこからお金が出ているのかはわからなかったです。3か月ほど彼女のマンションで同棲しましたが、相変わらずお酒は飲んでいましたし、引っ越しも重なって僕がついていけなくなり別れちゃったんです」

 お酒を断ちきれなかった川越さん。だが、女優への意欲が衰えることはなかった。

「このころドラマや映画などの仕事は少なかったけど、出演するときはすごい気合が入って、普通の役者さん以上に入り込んでいました。それくらい仕事にまじめだったんです。僕と出会う前、桃井かおりさんのお兄さんのお店で、自分で脚本を作ってひとり舞台をしていたくらいですから」

桃井かおりの兄が当時を振り返る

'02年に行ったひとり舞台のチラシには、川越さんが自らデザイナーに頼んで作った

《誰かこの女知っていますか》と自虐的に書かれた舞台のチラシがある。'02年に行われた川越さんのひとり舞台のタイトルだ。この公演を後押しし場所を提供した脚本家の桃井章氏は当時を振り返る。

「ひとり舞台は11月と12月の2回、行いました。当時、川越さんが所属していた事務所社長と僕が友達で、それが縁でお店に来るようになった。

 でも、毎日、酒浸りみたいな状態で……。そんな彼女を見ていたら、男だけど“母心”っていうか、“川越のためになんとかしてあげたいね”って思って、ひとり舞台をするよう持ちかけたんです」

 川越さんが出演し'00年に公開された映画『花を摘む少女と虫を殺す少女』の矢崎仁司監督が舞台のセットを担当。

 彼女を何とかしたいという関係者が多く集まった。

脚本や演出も彼女がこなし、舞台はよかったですよ。彼女が物を作ることをやりたいんだなっていうのは、すごくわかりました。だからこそ、なぜ酒浸りになったのかがわからない。ただ、1度だけ“20歳のときに月に200万円使える身分だったのよ”って言ったことがあったんですよ。“16歳でデビューして200万円使えるようになったら、人間どうなっていくかわかるでしょ”って。それは言い訳の気もするけど……

 だが、その成功が女優としての仕事を狭めていたという。