建設中の選手村

 インフラが整備され、雇用が生まれ、お金が回ることで経済が活性化するーー。そんな青写真を描く東京都は、2020年の東京五輪・パラリンピックが及ぼす経済効果について、大会招致が決まった'13年から'30年までの18年間で、約32兆3000億円にのぼると予測する。

 また日本銀行も、五輪開催に向けた建設投資や外国人観光客の増加などにより'14年~'29年の実質国内総生産(GDP)を累計25兆~30兆円ほど押し上げる効果があると試算している。このように“五輪特需”への期待は大きい。ところが、経済産業研究所上席研究員の藤和彦さんは、「数字を鵜呑みにしてはいけない」と警鐘を鳴らす。

「こうした試算は、“風が吹けば桶屋が儲かる”的な具体性に欠ける発想に基づいています。確かに、建設業や観光業など一部の業界は恩恵を受けることはできるかもしれませんが、全体的な効果は未知数。そればかりか、人手不足が表面化し、すでにほころびが生じているのが現状です」

経済効果の推計には根拠なし

 1964年の東京オリンピックでは、開催に伴い、新幹線や首都高などインフラが整備されたことで大きな経済効果を生んだ。

「当時の日本は、人間でたとえるなら20代のような若々しさと伸び代があった。一方、2020年の東京五輪は、成熟し高齢化しつつある国家として、いわば50代のような状況下で開催される。老年期に差しかかろうとしている国が、20代のときの発想で経済効果のソロバンをはじく時点で違和感を覚えます

 近年の五輪は、北京(中国)、リオ(ブラジル)など経済成長の著しい国で開催され、五輪成功が発展をさらに印象づけた。

 だが、祭りのあとは寂しいもの。リオ大会では、約900億円かけて建設した選手村の再利用計画が破綻。大会後、民間住宅として販売するも、約3600戸中、わずか240戸しか売れなかった。新設された自転車やテニスの会場も、大会後は民間に管理権を譲渡する計画だったが、入札に1社しか手を挙げなかったため頓挫している。

「東京都は、大会後のレガシー(遺産)で生じる経済効果を約27兆円に上ると推計していますが、北京やリオですら大会のためにつくられた施設が負の遺産になっています。長野冬季五輪も同じです。大会終了後は軒並み赤字へ転落、苦境に立たされました。

 私は、経済にレガシーを持ち込むこと自体がナンセンスだと思います。レガシーというのは、そもそも数字で測るものではありません。人が残したいと思った結果、遺産として残っているのであり、数字のために遺産にしようというのは本末転倒です

 ただ、やり方次第では、経済にとどまらない効果を生む方法もある。

「ロンドン大会では、五輪開催期間中に自国企業の海外展開を促すPRイベントやフェスティバルを開催し、五輪を自国全体のマーケティングイベントとしてプロデュースすることで成功しています。この戦略から学ぶものはある」

 日本の技術力や文化を世界に広く発信するには、東京五輪ほど最適な機会はない。

「ところが、国際的な展示場である東京ビッグサイトは、五輪開催時には『国際放送センター』などメディアの拠点となるため使えません。コミックマーケットやビジネス展示会の多くが、休止や移転先会場探しに追われています。

 本来であれば、国外のあらゆるメディアが来訪する五輪開催期間中にこそ、多様なイベントや展示会を連動して開催し世界へ発信していかなければならない。自ら波及効果を断っているようなものです

 さらには経済効果どころか五輪後の景気の落ち込みを危惧する声も。“オリンピック不況”に襲われる可能性は、どのくらいあるのか。

「1964年の五輪後の日本経済は“昭和40年不況”と呼ばれる景気後退に直面したことから、五輪後に不況が到来するとの懸念がささやかれています。しかし、当時と比べ経済の規模が拡大し成熟化が進んでいる現在では、五輪後の景気下振れのリスクはそれほど大きくないでしょう。

 ただ、インフラ整備をやみくもに行えば日本の財政悪化はさらに深刻となる可能性が高くなります。オリンピック開催に伴うインフラ整備で財政赤字が拡大した国として頭に浮かぶのはギリシャ('04 年開催)ですが、その後、リーマン・ショックの影響を受け長期にわたる財政危機に陥ったのは周知の事実。日本は財政健全化を強く意識したロンドン五輪のケースを参考にして財政規律を維持する必要があると思います

50代以降を巻き込めるかが重要

 経済効果はしょせん、机上の空論にすぎないのか……。しかし、藤さんは「ウルトラCではないが、世界から大きな注目を浴びるオリンピック・パラリンピックをつくり出す方法がある」と断言する。

「日本では、60歳以上を中心とするスポーツと文化の祭典『全国健康福祉祭』(通称・ねんりんピック)が1988年から毎年開催されています。こういった取り組みを五輪開催とコラボさせるのです。超高齢社会を迎えた日本が、いま、再びスポーツの祭典を開催する意義を打ち出すべきではないでしょうか」

 実は、パラリンピックという名称は、1964年の東京オリンピックの際に初めて採用された。第1回パラリンピック開催都市の東京だからこそ、2020年の五輪でも『ねんりんピック』と連動させるなどして初のケースを作ることができれば、大きな話題になることは間違いない、と藤さんは予測する。

「少子高齢化が進むなかでの五輪は、人口のボリュームゾーンである50代以上を巻き込むという視点が必要。シニア層も参加できる五輪のイメージをつくり上げられれば、経済効果にもつながります」

 先進国で高齢化が進む中、世界に先駆けてシニアがスポーツに真剣に取り組める国のパイオニアになるべきと話す。

「例えば、シニア層でも金メダルのチャンスがあるとか。高齢者が五輪を楽しめる文化が広がれば、それにひもづいてスポーツ人口も、関連商品・サービス産業も活況となります」

 今回、新設される会場も、大会終了後はシニア層の能力向上に役立つような施設にアレンジすれば、効果的に再利用できる。

スポーツ選手のピークは30代くらいまででしょうが、人生100年時代に見合った新たな尺度をつくり出せば、新しい産業や文化も生まれます。かつてのように新幹線や高速道路をつくる余地がないのであれば、異なるインフラをつくり出せばいいのです。

 シニア世代をいかすためのスポーツ文化や、産業を創出しPRすることこそ、日本ならではの世界を驚かす“レガシー”になるのではないでしょうか」


〈識者PROFILE〉
藤和彦さん
経済産業研究所上席研究員、経済学者。通商産業省(現・経済産業省)入省後、エネルギー・通商・中小企業振興政策など各分野に携わる。著書に『石油を読む』(日経文庫)など多数