行政書士・ファイナンシャルプランナーをしながら男女問題研究家としてトラブル相談を受けている露木幸彦さん。今回は、妻ががんの闘病中にもかかわらず夫が不倫したトラブル事例を紹介します。(前編)

※写真はイメージ

夫婦なら助け合うのは当然?

 突然ですが質問です。「夫婦なら助け合うのは当然」だと思い込んでいませんか? 民法の752条では「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」とあり、夫婦は「同居」「協力」「扶助」の3つの義務が定められています。しかし、これは倫理的な規範を示したもので、絶対的な強制力はありません。だから相手がピンチに陥ったとき、本当に助けるかどうかは各人の自由です。

 特に夫婦の真価が問われるのは病気のとき。例えば、配偶者が突然の告知に驚き、治療法の選択に悩み、病魔を恐れる姿を目の当たりにしたら、どうでしょうか? 愛情ゼロの仮面夫婦でも、「助けてあげないと!」とスイッチがOFFからONに切り替わる可能性が高いでしょう。

 しかし、反対の例もあります。2017年に立憲民主党の山尾志桜里衆議院議員と政策ブレーンである倉持麟太郎弁護士のW不倫疑惑が報じられました。その後、倉持氏の妻・Aさんが一部メディアで語った内容によると、Aさんは左脳大動脈狭窄症を患い療養中でしたが、一方的に倉持氏から離婚を切り出され、息子の親権を奪われる形で離婚することになりました。自分の不倫を棚に上げ、妻を裏切ったと眉をひそめた人も多かったでしょう。

 助け合う理由が「夫婦だから」では足りないのは、有名人だけでなく一般人でも同じです。病気を打ち明けたとき、配偶者の脳裏によぎるのが「助けてあげなくちゃ!」ではなく「うんざりだから別れようかなぁ」だとしたら……。今回は、そんな例をご紹介します。

<家族構成と登場人物、属性(すべて仮名)>
妻:松島志保(相談時40歳、享年41歳)広告デザイナー(年収400万円)
夫:松島雅也(相談時43歳、現在44歳)CGディレクター(年収900万円)
長男:松島湊(相談時15歳、現在16歳)中学生⇒高校生
妻の実母:大村志乃(相談時62歳、現在63歳)保険代理店経営

「あの人に娘を殺された」実母の恨み

 妻が抗がん剤の治療中なのをいいことに家に帰らず、愛人と同棲を始め、あげくの果てには妻に「これからは彼女(愛人)が息子の母親だから」と言い放ち、離婚を突きつける……そんな夫の悪行に悩まされたのは、筆者の相談者・松島志保さん(当時40歳)。志保さんは相談の翌年にひとり息子の湊(みなと)さん(当時15歳)を残して、この世を去ったのです。

 夫の悪行と妻の余命との間に因果関係があるかは定かではありませんが、一般論として夫は妻を励まし、勇気づけ、そして治療に専念できるよう身の回りの世話を買って出るべきでしょう。だから、息子さんが「パパのせいでママの寿命が縮まった」と結びつけたくなる気持ちもわかります。今回の場合、殴る蹴るという身体的な暴力で死に至ったわけではありませんが、「精神的に殺された」と言っても過言ではありません。

「娘が亡くなりました。その節は本当にお世話になりました。急に具合が悪くなって入院して、あっという間でした」

 志保さんの母親・大村志乃さんが筆者に「娘の訃報」を知らせたのは四十九日法要の翌日。筆者は志保さんの闘病中、万が一のことがあっても息子さんが悲惨な目に遭わないよう、志保さんと一緒に準備を整えました。今回が初めてではありませんが、やはり「相談者の死」という現実を突きつけられると言葉が出ませんでした。

 しかし当然、筆者よりショックが大きいのは母親と息子さんのほうでしょう。母親はだいぶ混乱している様子でした。まさか娘の死に顔を見るとは思っていなかったでしょうし、若干16歳で母親の死に目に立ち会った息子さんの悲しみは計り知れません。母親は志保さんが4歳のとき、夫(志保さんの父親)と離婚して以来、女手ひとつで育て上げたそう。たったひとりの娘を失ったのだから、ただならぬ喪失感に苛(さいな)まれているはずです。

「“私たち”はあの人に(娘を)殺されたと思っています。あの人が離婚を言い出してから、娘は生きる気力を失って抗がん剤もやめてしまったし……」

 母親は涙ながらに恨み節を口にしますが、生前にどんな仕打ちを受けたのか、筆者は志保さんから一部始終を聞いていたので、母親の言う「あの人」が志保さんの夫だと察しがつきました。とはいえ母親は志保さんの死因(病死)を疑っているわけではありません。婿が娘を殺害した殺人犯ではないのに、なぜ母親は「殺された」と思っているのでしょうか?

夫不在の中、進行がんの手術を受ける

 夫との関係に悩み、志保さんが筆者のところへ相談しに来たのは、亡くなる1年前のこと。志保さんは抗がん剤の副作用による脱毛やめまいに悩まされており、ウイッグをつける恥ずかしさや、ふらついて転ぶ心配もあったので、通院以外はほとんど外に出ず、家にこもる日々を送っていたとのこと。ようやく白血球の激減期を過ぎ、抗がん剤の恐怖も薄れ、副作用にも慣れたころ、筆者の事務所へ足を向けたのです。そのとき志保さんはこう話していました。

「私は夫のことを信頼していましたし、愛していました。夫の存在が私を勇気づけてくれました。家族のために生きようと思い、治療を受けてきたんです。ですから夫が姿を消したのは青天の霹靂(へきれき)でした」

 志保さんはあまりに興奮して、首から上、そして左右の耳は真っ赤に染まり、そして目は血走って充血している様子でした。さらに抗がん剤の影響でしょうか、顔が全体的にむくんでパンパンの状態でした。

 志保さんは2月の人間ドックで子宮がんが見つかったのですが、がんはかなり進行しており、予断を許さない状況でした。夫の職業はコンサートの映像コンテンツを制作するCGディレクターですが、運悪く海外で単身赴任中で、3月下旬に戻ってくる予定でした。「自分の病気で周りを振り回したくない」と思っていた志保さんは、夫に対して「海外赴任を途中で切り上げて戻ってきてほしい」と頼まず、ただ病名だけ告げたそうです。

 そのため、志保さんは夫の帰国を待たず、手術に踏み切らざるをえませんでした。入院中は母親に自宅へ来てもらい、息子さんのことを任せることに。卵巣・子宮の摘出とリンパ節を切除する手術を行ったのですが、ストレッチャーに固定され手術室に運ばれてから、酸素マスクをつけて意識が戻るまでの間、何度も息子さんが夢に現れ、現実との境があいまいで怖かったそうです。しかし、志保さんを苦しめたのは手術より術後の抗がん剤でした。抗がん剤の効果について半信半疑で治療を始めたので、点滴注入によって体内に衝撃が走るたびに怖くてしかたがなかったといいます。

妻の闘病を無視し、不倫相手と同棲を開始

 志保さんの仕事は雑誌広告のデザイナーでしたが、治療の副作用で重度の貧血を患い、仕事を続けることが難しい状況に。志保さんはフリーランスなので闘病中は収入が途絶えてしまい、身体的、経済的に追い込まれるなか、不安な気持ちを夫へぶつけてしまったそう。

 例えば、夫の留守電に「もう消えてしまいたい」と残したり、夫が出る前に電話を切ったり、夫が電話に出ても無言のままにしたり、「死にたい」とメールを送ったり……そんな夫への孤独な訴えは1日10回にとどまらず、どんどん増えていき、夫が帰国する直前には1日30回を超えていたのです。すると夫が1通のメールを送りつけてきました。「しばらくの間、ウイークリーマンションを借りて様子を見させて」と。

 夫が家に帰らない理由は志保さんのヒステリーに耐えかねたからではありません。夫は頑(かたく)なに帰国後の住所を教えなかったのですが、それもそのはず。ウイークリーというのは真っ赤なうそで、正しくは2DKのマンション、つまり、別の女と同棲を始めたのです。夫の言動を怪しんだ志保さんは、早々に興信所に夫の尾行を依頼しました。

 するとある日、夫は彼女とレストランへ。食事を楽しみ、最後に彼女へ「HAPPY BIRTHDAY YUKI」と書かれたスイーツプレートが運ばれてきました。夫の誕生月ではないので彼女の誕生日を祝っていたのは明らかでした。ほかにも席はあるのに、わざわざ1階の窓側を選んだのは、最初から隠すつもりがなかったからでしょう。そして食事を終えた2人は愛の巣に帰っていったのですが、その一部始終は興信所の撮影した動画に記録されていました。

 志保さんは興信所の証拠を突きつけたうえで「どういうことなの?」と問いただしたのですが、夫いわく、彼女は会社の同僚。5年前に夫が手がけたコンサートの映像を見たことがきっかけで入社したそうです。彼女にとって夫は憧れの存在なので、仕事の悩みを夫に相談するのは当然の流れでした。そんなふうに距離を縮めるうちに男女関係に発展し、帰国時に会うだけでは飽き足らず、海外の現場に彼女を呼び寄せることもあったそうです。

 夫は志保さんの病気のことを最初から知っていました。先々のことはともかく、当面の間は闘病中の妻を支えるべきで、志保さんは夫が彼女と別れ、部屋を解約し、自宅に戻ってくると思い込んでいました。

 しかし夫は、

「もう我慢しないって決めたんだ。人間、いつ死ぬかわからないだろう? お前たちに縛られたくないんだ」

 と言い放ったのです。それは彼女との同棲を続けることを意味していました。

「納得できない! 捨てないでほしい。私の人生はあなたがいないと意味がない」

 と泣いて懇願する志保さんなど、眼中にないという感じで。

絶望してベランダから飛び降りようと

 夫のあまりにもひどい仕打ちのせいで、志保さんの心身はますます悪化。息子さんが帰宅するとリビングで泣き崩れていたり、6階の自宅ベランダから飛び降りようとするところを息子さんに助けられたり、包丁をのど元に突きつけて「もう死にたい!」と嗚咽(おえつ)したり……。

 よりによって息子さんはまだ15歳。ナイーブな年齢で高校受験も控えているのに、母親が何をしでかすかわからず、目が離せない生活を強いられたのです。とても受験勉強に集中できるような環境ではありませんでした。実際のところ、担任の教諭から志保さんに「登校しなかったり、無断で下校したりすることが増えているけれど、おうちで何かありましたか?」と電話があったのですが、まさか自分のせいで息子が学校に通えないとは、口が裂けても言えません。

 このままでは志保さんが自ら命を絶つのも時間の問題でした。志保さんは担当医に「通院から入院に変えてほしい」と頼んだのですが、「病院の方針なので」と一蹴され、外来での抗がん剤治療を余儀なくされたのです。

「私は告知されてから死の恐怖と戦ってきて、心身ともにクタクタでした。今まで生きてきたなかで、こんなに苦しくて孤独で、絶望感を味わったことはありません」

 志保さんはそう振り返ります。抗がん剤治療はまだ3ターム目でしたが、途中でやめることを自らの意思で決めたのです。

 血液検査を受けるたびに腫瘍マーカーの値が上昇しており、日夜「死の恐怖」に怯(おび)えていたのですが、夫はいっさい容赦をせず、志保さんをさらなる地獄へ突き落そうとしたのです。次は何をしでかしたのでしょうか?

(後編に続く)

※後編は12月28日20時30分に公開します。


露木幸彦(つゆき・ゆきひこ)
1980年12月24日生まれ。國學院大學法学部卒。行政書士、ファイナンシャルプランナー。金融機関の融資担当時代は住宅ローンのトップセールス。男の離婚に特化して、行政書士事務所を開業。開業から6年間で有料相談件数7000件、公式サイト「離婚サポートnet」の会員数は6300人を突破し、業界で最大規模に成長させる。新聞やウェブメディアで執筆多数。著書に『男の離婚ケイカク クソ嫁からは逃げたもん勝ち なる早で! ! ! ! ! 慰謝料・親権・養育費・財産分与・不倫・調停』(主婦と生活社)など。
公式サイト http://www.tuyuki-office.jp/