前回のインタビューで、失敗を恐れて何もしないより、失敗してもいいから行動することが大切だと話していた井上順さん。後編では、50代で難聴になった井上さんが現実を受け入れて「生まれ変わった」ことについてうかがいます。

*インタビューの前編は『井上順のSNSが人を癒す理由「嫌なことってあるんだろうけど、ぼくには見えない」』

「うれしさを頂戴したから、がんばらなくちゃいけない」と語る井上順さん 撮影/佐藤靖彦

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 現在、補聴器メーカーのコマーシャルに出演中の井上順さん。59歳のときに補聴器を使い始めたが、最初に耳が聞こえにくいなと気づいたのは50代に入ってすぐのこと。例えば、舞台の練習でセリフの読み合わせをするときに、みんなの声が小さいと感じていたという。

「自分では耳が聞こえにくいとは思ってもいないから、『みんな、声がちっちゃいよ。もっと大きな声を出そうよ! お通夜じゃないんだから』と言うと、みんなが不思議そうな顔をしてね。『あれ? 聞こえにくくない?』と聞くと『いえ、ばっちり聞こえてます』『順さん、耳が遠くなったんじゃない?』なんて言われて。まだ50ちょっとすぎだし、まあ、仕事に支障がなかったこともあって、あまり気にしてなかったですね」

 あるとき歌を歌っていて、音程がとりにくくなったことに気づく。昔は、グラスを指で鳴らすと出るチーン♪ という音がどの音程なのか聴きとてれていた。それも、音を聴いてから、あたりを一周してきても同じ音で歌えるほど。音感がとてもいいのが自慢だった。それなのに、何度グラスを鳴らしても音をとりにくい状況が続くようになった。

「そのうち、歌うのが怖くなってね。イントロが終わって歌い始めるわけだけど、声を出すのが怖い。ちゃんとした音を出せるか、まったく自信がない。コンサートでも、音がものすごく不安だからソロでは歌えない。そこで、40年以上の付き合いになるコーラスのみなさんとユニゾンにして、助けてもらっていました。ユニゾンがうまくいったときのうれしさといったらない。今から思えば、兆候があったんだよね」

 仕事だけではない。プライベートでは井上さんから社交性が減っていくようになる。

仲間内で、ワイワイしゃべっているときにワハハ! って盛り上がるでしょ。だけど、ぼくはわかってないの。今なんて言ったんだろうと思うけど、流れがあるから会話を止められない。ある程度キリがよくなったところで『さっきはなんでウケてたの』と聞く。だけどねえ、だんだんそういう会合に出るのもおっくうになってきてね。

 それで、おい、順、おまえどうしちゃったんだよ! って自分を叱って。それで必ず仕事するときには、難聴であることを伝えるようになりました。じゃないと失礼でしょ。仕事場で、え? え? って聞き返してばっかりだったら、使うほうだって嫌になっちゃうよね」

原因は耳の酷使だった

 そして59歳になった井上さんは、耳鼻咽喉科の主治医に耳の聞こえについて相談。両耳とも「感音性難聴」の診断が出され、もう一生、治らないと伝えられる。感音性難聴とは、聞こえる音の範囲が狭まる、ひとつひとつの音がぼやける、高音域の音が聞き取れにくいなどの症状がある耳の病気のこと。原因は主にふたつあり、ひとつが加齢。若年性だと20歳くらいから聴力が弱くなる人もいるそう。もうひとつの原因が耳の酷使。

「今はショーやコンサートのときには、音響の専門家がひとつひとつの音をきちんと拾ってバランスを調整するけど、ぼくがデビューした50年以上前は雑で、アンプの前にマイクを置くだけ。それでギターをギュゥーーーン! と弾くわけですよ。そうすると、ぼくらボーカルも負けちゃいけないってんで大きな声を出す。で、またバンドマンたちが、あいつらヤバイよって大きな音を出す。その繰り返し。結果的に耳を傷めてしまった

 ということは、コンサートが終わった後、耳がガンガンしていた?

「そんなことないの。どちらかというと神経質に考えない性格なのもあるけど、ぼくのコンサートは、いい汗をかくショーというか、1個1個つくり上げてショーアップしたものだから、終わったときの安堵(あんど)感というほうが大きかったから、耳のことは忘れてますね」

 治らないという診断を受け入れられなかった井上さんは、セカンドオピニオンを受診。が、診断は同じ。そして主治医にすすめられたのが補聴器の使用だった。

「両耳が同じくらいのバランスで悪いと言われたの。だけどね、不思議なんだけど、耳が悪い、補聴器を使います、となると気後れしちゃう。目なら視力が下がってメガネをかけたり、コンタクトをつけたりするのはまったく平気なのに、補聴器となると途端に平気でなくなる。

 後から聞いたら、そういう気持ちになるのは、ぼくだけじゃなかったんだけど、それで、悪あがきというか、まだ59歳なのに両耳補聴器なんて! と気持ちが抵抗してね。最初は片耳だけで折り合いをつけました。さあ、補聴器をつけたらね、なんだこれは! こういう世界があったのか! って。もう大変でしたよ、うれしくて」

両耳に補聴器をいれたら「うそでしょ!」

 片方だけでもよく聞こえていたが、1年半くらいたってから、補聴器をつけて聞こえてる耳と、つけてなくて聞こえてない耳とで、バランスが違うからか、頭の中がなんとなく混乱するのに気づくようになる。

「試しに両耳に補聴器をいれたら、生まれ変わっちゃった! うそでしょ! 昨日まではなんだったの? という感じですよ。昨日までは片耳でも生きていたわけだけど、両耳にいれたら、どういうことなんだ! って。もうちょっと早く両耳にしておけばよかったと思ったよね」

 片耳だけ補聴器をつけていたときの聞こえがステレオだったとすれば、両耳は三次元音響のドルビーアトモスのような感じ。井上さんは現在、寝るとき以外は終日、補聴器をつけている。

「音が聞こえなくなったと思っていましたが、補聴器をはずしているときに、ドアの開け閉めの音やトイレの流れる音などが聞こえるの。その喜びったら! 聞こえる、聞こえるってね、うれしくなる(笑)。でも、こうして補聴器つけるようになって本当によかった、なにせ生まれ変われたんだから」

 井上さんが使っているのは、とても小さな長さ3センチほどの補聴器。外耳にすっぽり収まり、外から見ただけでは、補聴器を使っていることがわからない。

みなさんに言いたいのはね、目の検査や健康診断と同じように、耳も検査してほしいです。よく聞こえてる方でも、耳鼻科で年に一度は聴覚の検査をしてください。ぼくは右耳の低音が弱くて、左耳の低音はまあまあだけど高音が弱い。聴力が落ちていく最中にね、音のバランスのとり方をちょっと怠っていたのかしら。

 でも補聴器メーカーのアフターケアが、とにかくきめこまやかでありがたいんです。こうして関わったったんだから『立っている者は親でも使え』の精神で甘えることにしています。変に遠慮するとストレスがたまっちゃうし、聞こえにくいのを我慢することになるしね。みなさんも、どんどん甘えて、どんどん調整してもらえばいいと思いますよ。

 年を重ねていくと、耳が聞こえなくてもいいよ、目が見えなくてもいいよって思うかもわかんないけど、でもね、こんなに毎日すてきなことがあるんだから、もっと聞こえてもいいよね。だから、ぼくはせっかく生まれ変わったことだし、長生きしたいんです

長生きするために欠かさない“駆け引き”

 井上さんにとって長生きとは、できるだけ長く、人の手を借りずに飛んだり跳ねたりできること。こんなに毎日、すてきなこと楽しいことがいっぱいあるんだから、年を重ねてってなくすのはもったいないと言う。そして、長生きするために井上さんが欠かさないのが、日用品のストックを切らさないこと。

「なぜかというとね、空の“上”にいるお迎えに来る人が、さあ、そろそろ順を迎えにいくか、と思ったときに、ぼくの家に日用品がなかったら、連れていかれちゃうかもわかんないでしょ。だからその前に、シャンプーやら石けんやらコーヒーやら毎日使うものを買いだめしておいて、絶対になくならない状態にしているわけ。それなら、“上”の人が迎えにこようとしても『あれ、また買っちゃったよ。元気そうだな。しょうがない、なくなるまで待つか』って。こっちはね、冗談じゃない、なくしてなるものか! って(笑)。自分のなかで楽しい“上”との駆け引き

 できることは自分で。だから料理もきちんとする。

「昔からうちで、お客さんが集まって飲み食いすることが多いんです。ぼくは毎日のように外食してますから、シェフや板前さんの知り合いも多い。それで彼らに、これどういうふうにつくるの? なんて聞くと教えてくれるの。それを紙に書いて保管してる。例えば、今夜はポトフにしよう、と決めると、塩豚からつくります」

 ここ数年、ハマっているのが、鹿児島から取り寄せた安納芋で干し芋をつくること。

「オーブンの天パンに水を入れて、その上に網を載せます。網の上にお芋をのせて、霧吹きで2回くらい、お芋に水をかけて200度で70〜80分。そうすると、中がやわらかくなってね、焦げ目がちょうどつくくらいなの。熱々の状態のときに皮をていねいにむくんですよ。手袋なしで、素手で皮をむくんだけど、毎回火傷しちゃうの。それだけが大変。皮をむいたら3日間くらいお日様に当てると甘みが出て手づくり干し芋の完成。売ってないものだから、友達も楽しみにしててくれてる。料理も毎日つくるわけじゃないけど、今年のように自粛しなくちゃいけないときは、家の中でつくれるものを“ポポポ”と見つけて賄う感じかな」

 補聴器との出あいによって、生まれ変われて、今はまさに〈第二の人生〉を謳歌(おうか)しているところ。

補聴器との出あいがあって、こうして生まれ変わった自分というのがいて。お仕事をするときに、私は難聴ですとお話しすると『そんなのかまいませんよ』と返してもらえるとね、もうね、泣いちゃいけないな、というくらいのうれしさをちょうだいしましたよ。うれしさをちょうだいしたから、頑張らなくちゃいけない。ぼくは自分を日本一ヘタクソな役者、歌手だと思っています。だから仕事でも下手は下手なりに一生懸命、情熱をもってやるんだというのを難聴になったことで教えてもらったかな。

 人生って勉強なんですよね。勉強するからこそ、“なんかうれしい” “なんか楽しい”にたくさん遭遇できるとぼくは信じてる。実際にそのとおりだから、いいじゃないの! 素晴らしいよね」

(取材・文/吉川亜香子)

<PROFILE>
井上順/1947年2月21日、東京・渋谷に生まれる。1963年、16歳で「田邊昭知とザ・スパイダース」に参加。最年少メンバーとして、堺正章とのツインボーカルでグループサウンズの幕開けに貢献する。グループ解散後の1972年にソロデビュー。『涙』『お世話になりました』などのヒット曲を生む一方で、俳優として最高視聴率56.3%を記録したホームドラマの金字塔『ありがとう』(TBS系)など数多くの作品に出演。1976年には歌番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の司会者に抜擢(ばってき)され、芳村真理とともに番組黄金期を築いた。ダジャレの名人としても有名で「ジャーニー!」「ピース!」など数々の流行語を生み出した。長年にわたりオールラウンドプレーヤーとしてテレビ、ラジオ、舞台、コンサート、司会、映画などで活動。2020年1月、渋谷区名誉区民に顕彰される。同年4月、Twitterを開設。「井上順のツイッターが軽妙で魅力的!」と話題になる。
◎Twitterアカウント @JunInoue20

<ライブ情報>
「まだまだ ♪お世話になりますよ♪ 2021春」
出演:井上順、山崎イサオ、黒沢裕一、麻上冬目、柳澤香
日時:2021/1/23(土)open 18:00、start 19:00
会場:eplus LIVING ROOM CAFE&DINING
*チケット発売中/リアルライブのほかに生配信もあり
http://livingroomcafe.jp/event/inouejun0123