東京都練馬区大泉町の閑静な住宅街に夫婦が引っ越してきたのは28年前のこと。ちょうど東京と埼玉の境目にあたり、周辺には個人タクシーの運転手の家がいくつもある。

「個人タクシーで稼ぐには都心で長距離客をつかむのがいちばん。営業するには都内に居住しなければならないが、都心は地価が高いため埼玉や千葉との県境ギリギリに自宅を構えるケースが多い。その元運転手さんと面識のある仲間は見当たらないから、地元の駅には車をつけていなかったのではないか。おそらく都心への“出稼ぎ組”でしょう」

 と最寄り駅で営業するベテランのタクシー運転手が業界事情を明かす。

 その個人タクシーの元運転手の男性(78)が妻(72)とともに自宅で亡くなっているのが発見されたのは1月14日の夕方だった。

 中古で購入しリフォームした2階建て住宅の1階居間で夫はあおむけに倒れ、妻はひも状のもので首をつっていた。

現場宅の雨戸は閉まったままで新聞も少したまっていた。近所では数日留守にしているのだろうと思われていて

 事情を知る関係者の話。

「遺体を見つけたのは隣県で暮らす長男。実家の両親の様子を見に来たところ、変わり果てた姿を目の当たりにし110番通報している。死後数日が経過しているとみられ、室内を荒らされたり、争ったような痕跡はなかった。玄関の鍵もかかっていたため、外部から何者かが侵入した可能性は限りなく低い」

 パトカーや救急車がけたたましいサイレンを鳴らして駆けつけ、自宅前に門番の警察官が張りつくなど現場周辺は物々しい雰囲気となった。

 心中か、後追い自殺かなど、夫婦が死亡した詳しい経緯はわかっておらず、警視庁石神井署は「死亡した原因などについては捜査中」としている。

“私が死んだらお父さんは生きていけない”

 自宅周辺では仲のよい夫婦として知られていた。2人して電動アシスト自転車に乗ってショッピングセンターに買い物に出かけたり、一緒に近所を散歩する姿がたびたび目撃されている。

「旦那さんは神経質でやや気難しいところがあり、明るい奥さんが旦那さんを引き立てて家事や近所付き合いを含めうまく立ち回っていました。典型的な亭主関白で、旦那さんが現役のころは、奥さんがタクシーを洗車することもあったほど。昔から“私が死んだらお父さん(夫)は生きていけない”と話していましたね」(近所の主婦)

夫婦がよく散歩していたコース。バス停2つぶんくらい平気で歩き往復していたという

 近所の住民らに妻が打ち明けたところによると、妻はずいぶん前に大腸がんを患ったことがあった。

「手術は成功して奥さんのがんは再発せず、完治したようなんです。ところが一昨年ごろから旦那さんが足を悪くして、運転が怖くなって現役を引退したんですって」

 と近所の女性は言う。

 夫がかつて所属していた個人タクシー組合の関係者はこう振り返る。

「彼は定年のない時代から個人タクシーをやっていたので健康で事故を起こさなければいつまでも現役でいられたはず。高齢ドライバーの事故が大きな社会問題となっているから難しい側面もあるが」

 夫は主に夜から稼働して朝まで走るスタイルで運転手を続けてきた。マイホームのローンは10数年かけて完済しているし、台風で飛ばされた屋根やキッチンの床なども修理して自宅は見違えるほどきれいになった。ひとり息子は家庭を持ち、孫娘と遊びに来るのが楽しみだった。

 無理に現役にこだわる必要のない生活の中、昨年秋ごろ大病に襲われた。

黒々としていた頭髪が真っ白に

「具合が悪くなった旦那さんが救急搬送されたんです。前立腺がんと診断され、しばらく入院していました。奥さんの話では、医師から“もうこれ以上は放射線治療を続けられない”と言われ自宅に戻ってきたそうです」

 と前出の主婦。

 近隣住民によると、退院した夫はそれまで黒々としていた頭髪が真っ白になり、精神的にも追い詰められている様子だった。

 夫を長年支えてきた妻は、

「自宅に帰ってきたら、お父さんずいぶん年をとっちゃったのよ。“また具合が悪くなったらどうしよう、どうしよう”とそればかり気にしていて」

 と心配しきりだったという。

 昨年末には、自宅にわざわざタクシーを呼んで、夫婦でショッピングセンターに絨毯(じゅうたん)を買いに行くなど気持ちを切り替えようとする様子もみられた。

「この正月には息子さんが孫娘を連れて帰省していました。そのために絨毯を買い替えたのかもしれません。コロナ禍でもご両親を心配して旅行に誘うなど親孝行な息子さんだけに、親の遺体を見つけるなんて本当に気の毒で」(前出の主婦)

 こまめに掃除、洗濯をして植木鉢の世話を続けるなど「きちんとした女性」(前出・近所の女性)と評される妻。にぎやかな正月が終わってから何があったのか。

 知人女性が打ち明ける。

「奥さんも、がんとは別の病気と闘っていました。旦那さんのがんについては在宅医療の道を選びましたが、3か月待ちと言われたみたいです。つい最近、奥さんと会ったときは、目はくぼみ、ふっくらした丸顔は別人のようにやせこけてしまっていて……」

 周辺住民によると、妻は遺体で見つかる少し前に髪を切ったようで、本来のやわらかい印象を取り戻していたという。きちんとした女性であり続ける身だしなみだったのか。

自宅前には夫婦の死を悼む花が手向けられていた

◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)

〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する