熊谷海音ちゃん(当時7歳) 撮影/週刊女性写真班

 東日本大震災から10年。震災の直後から被災地での取材を進めていた記者は、そこでひとりの女の子に出会う。津波に両親と姉を奪われてしまったその女の子は、当時まだ7歳。あまりにも残酷な現実……。それでもその子は、いつも笑顔を見せていた。10年経った彼女は17歳の高校生となり、今回は自分の意志で取材に応じてくれた(津波で両親と姉を失って10年、自死も考えた17歳少女が見つけた「生きる望み」)が、これは彼女が初めて『週刊女性』に登場した当時のもの。週刊女性2011年5月24日号の記事を再掲する(以下本文は掲載当時のまま)。

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宮城県・仙台市から岩手県・陸前高田市の小学校に転校したのは震災翌月の4月20日。全校生徒の前で転校の挨拶をする海音さん(当時7歳)撮影/週刊女性写真班

  両親と姉を亡くし、祖父母に引き取られた女の子は、きれいな星を見つけると家族を思い出す。その小さな胸の中には、いつもパパとママとお姉ちゃんがいるーー。

「熊谷海音です。2年生です。よろしくお願いします」

 4月20日。2週間遅れとなった小学校の始業式。ピンクのトレーナーに黒のズボン。ショートヘアのてっぺんを、ピンク色のゴムで結び、はにかみながら、全校生徒の前で自己紹介する女の子。

 宮城県仙台市から、岩手県陸前高田市の小学校に転校してきた熊谷海音ちゃん。海音ちゃんには、父・純さん(43)、母・安美さん(37)、姉の花瑚ちゃん(9)がいた。あの日まではーー。

この子は4人分の命

「最初に姉の花瑚が見つかったので、海音は火葬場ではじめてお姉ちゃんの姿を見ました。あの子はずっと私にしがみつき、ブルブルと震えながら声を出さずに、涙をボロボロと流していました……。津波警報が出たあと、息子は車で学校に向かい、安美ちゃんも花瑚を拾って車で海音を探しに行き、そして向こうのおばあちゃんも、自転車でこの子を探しに行って、みんな津波にのまれたんです……。だからこの子は“4人分の命”なんです」(祖母・隆子さん)

 冒頭の始業式の約1か月前、海音ちゃんは、大好きなお姉ちゃんの変わり果てた姿を見て、声を殺して泣いていた。

 3月11日の津波で、両親と姉、近所に住んでいた、母方の祖母を失った。そして、父・純さんの実家である、陸前高田市の祖父・廉さん(71)と祖母・隆子さん(69)に引き取られる。

 廉さんが、海音ちゃんから聞いた、当日の記憶を振り返る。

「あの日は、まだ小学1年生でしたから、学校が早く終わり、帰宅中に地震にあったようです。海音に聞くと、歩いていたらすごく揺れたから、草むらにしゃがんで、両手で草を持って揺れに耐えたって。そのときに郵便配達のお兄ちゃんがそばにいて、助けてもらったみたいです。それから真っ暗の中、ジープのような狭い車に乗って“お腹すいたな”“きついな”って思ったことと、自衛隊さんに、何かを食べさせてもらった、という断片的な記憶があるようです」

 海音ちゃんは揺れに耐え、なんとか学校に避難することができた。が、そのころ、自分を探しにきてくれていたパパとママ、お姉ちゃんとおばあちゃんは、黒くてお大きな波に、のみ込まれてしまっていた。

 純さんは、廉さんと隆子さんにとって、かけがえのない息子。その大事な息子一家の行方がわからなくても、

「どっかにいるわよ、大丈夫。そんなことで死ぬ男じゃない」と、息子たちの無事を信じることしかできずにいた。

「地震から4日後くらいまでは、おらい(私)もかあちゃんも“どっかにいる”と信じ、お互い顔を合わせても、その話はしなかった。でも、1週間たって花瑚の遺体が見つかって“もうダメかな……”って」

ジュースを我慢して、お姉ちゃんにお花を

 突きつけられた事実と、ひとり残された孫の存在は、高齢の夫婦には、あまりにも残酷なものだった。

 だけど、目の前には両親と姉を亡くした孫が、懸命に生きようとしている。

 姉の死を目の当たりにした海音ちゃんは、一生懸命、事実を理解しようと、お姉ちゃんに一通の手紙を書いていた。

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熊谷花瑚おねえちゃん

あたらしいかんじ おぼえたよ。

熊谷花瑚
熊谷海音

てんごくへのぼっていった おねえちゃんへ

けんかもいっぱいしたけれど
いっぱいあそんでくれてありがとう。

りくが車の中でないてたよ。

おねえちゃんが
てんごくへのぼっていったから
ないてたんだね。

ホワイトデーのプレンゼントも
おねえちゃんにもいただいたよ。

うれしいね。

うちね りくぜんたかだにてんこうするの。
おねえちゃんのために うち がんばるね。

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震災の8日前に、祖父の誕生日とひな祭りを祝ったという。これがお姉ちゃんと撮った最後の写真となった(写真/家族提供)

「いつ書いたのか、まったく気づきませんでした。ある日“お姉ちゃんにお手紙書いた”って、お骨の前に置いてあったんです。この子の前では泣くまいとは思っていますが、涙が止まらなくてね……。まだ7歳なのに、よく書けている。息子は亡くなりましたが、この子ひとりを残してくれたことが、最後の親孝行だと思うんです

 と、祖母の隆子さんは声を震わす。手紙の中に出てくる「りく」とは、姉妹が仲よくしていた男の子の名前だ。

 一緒に住み始めて約2か月、廉さんも隆子さんも、海音ちゃんの泣きごとを、いまだかつて聞いたことがない。

「とにかくよくしゃべる子で“なんで?”“どうして?”が多く、納得するまで質問してきます。たまに、答えられなくて困ることもありますが、手伝いはよくしてくれますよ」(隆子さん)

 週刊女性は祖父母のお手伝いをする海音ちゃんを目撃している。

 まだ物資が不足している市内では、食料や生活用品などを積んだトラックが、各地域を回っている。そのアナウンスを聞いた住民は、カゴを持ってトラックに集まる。海音ちゃんは、隆子さんと一緒にティッシュペーパーやお米などをカゴに入れていた。

「重たいでしょ、持つよ」

 隆子さんがいうと、

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

 といって、海音ちゃんは山盛りのカゴを、両手で一生懸命持ち、最後までひとり、自宅まで運んでいた。

「私もボランティアで働いていたんですが、重たいものを持って腰を痛めてしまったんです。そしたら海音が、4リットルの水を持ってくれるんですよ。だから“ご苦労さん”っていって、お駄賃を100円あげるとね、それがうれしいみたいで、いくら貯まったって毎日計算してますよ」(廉さん)

 手伝いを目撃した翌日、海音ちゃんは貯めたお小遣いを持ち「ジュースを買いに行く」と、近所の小さな商店に向かった。そして、

「ただいまー。ジュース買わないで、思い切ってきこれ買ってきちゃった! これ580円もしたんだよ〜」

 と、その手には花束が握られていた。

「迷ったんだけど、お花枯れてきちゃったから思い切っちゃった。だって、お姉ちゃん寂しそうなんだもん」

 道でたんぽぽを見つけると、お姉ちゃんのために摘んで供えていた。お姉ちゃんの周りには、いつもお花が飾ってあった。が、その日、海音ちゃんが見たお花は、やや枯れかけていたのだろう。

「驚きました。この花は“1000円札出しておつりもらったの”って。お姉ちゃんのために、がんばって貯めたお金使って……。かあちゃんと2人で顔見合わせて“参ったな〜”ってね」(廉さん)

「その気持ち、とてもうれしかった。でも、本当にびっくりしました。お姉ちゃんに、きれいなお花をあげたかったんでしょう。“ちゃんとお水取り替えてね”といって、にこにこしていました」(隆子さん)

 いつも笑顔で、おしゃべりが大好きな海音ちゃん。その姿を見て、廉さんも隆子さんも支えられているというが、それでもまだ7歳の子ども。パパとママは、一向に迎えに来てくれず、そのことだけは、いつもと違って「なんで?」「どうして?」と、聞けないでいる。

「“今日はね、いい夢を見るんだ”って、敷き布団の下に大好きな本を並べて寝るときがあるんです。お姉ちゃんの位牌が置いてある居間で寝ているんですが、お姉ちゃんのことを思い出したのかな、怖い夢でも見たのかな、って思うときがあります。パパとママのことは、自分からはストレートにいいませんが、たまに、かあちゃんにいうときがあるようですね」(廉さん)

 壊滅的な被害を受けた陸前高田市だが、廉さん宅の崩壊は免れた。しかし、断水のせいでトイレは使えず、各家庭の庭先には、仮設トイレが設置されている。

 夜、寝る前に必ずトイレに行く海音ちゃんは、よく夜空を見上げる。

ママとパパは今、どこにいるのかな

 ある日の三日月を見て、

「あのお月さま、お姉ちゃんの笑い顔に似てるね」

 また、星がきれいに出ている日には、

「パパとママも、お姉ちゃんのところに行っちゃったんじゃないかな。うち、ひとりになっちゃうのかな……」

 とつぶやくという。

元気に英語塾へ出かけていく海音さん。取材班が来たのが嬉しかったのか「帰ってきても、まだいる? ねぇ、いる?」と尋ねてきた('11年8月)撮影/週刊女性写真班

 4月14日に、母・安美さんのご遺体は発見されていたが、祖父母はその事実を海音ちゃんに伝えられずにいた。

「やっぱり、お姉ちゃんの火葬のときの思いを、2度と繰り返させたくないので。パパとママがいない、ということは半信半疑だと思うんです。まだ、いつか帰って来るのでは、っていう気持ちはあると思う。でも、私には聞けない。たまに、空を見上げて“こないかな……”っていってるときがあるんです」(隆子さん)

 星を見たときのように、海音ちゃんは、遠回しにパパとママのいない寂しさを訴えることがある。

「ママは今、どこかなぁ。パパと一緒にいるのかな」

「ママのご飯が食べたいな。でも、あーちゃん(祖母の隆子さんのこと)のご飯もおいしいよ」

「あーちゃん、今日、お星さまがきれいだよ……」

 だけど、そこで涙は一切見せず、むしろ笑顔で話すという。仙台を離れ、陸前高田に引っ越すときも、仲のよかった友達に電話し、

「うちね、陸前高田に引っ越すよ〜」

 と、泣きもせず“早く行きたい”とケロッとしていた。

 しかし、廉さんと隆子さんには、海音ちゃんには真実を伝えることができない。“パパとママのこと”が、脳裏から離れない。せめて、亡くなった息子夫婦と長女の花瑚ちゃんを、一緒に眠らせてあげたい。

連休までに、何とか息子の遺体を見つけてあげたいと、ずっと思っていました。花瑚が見つかり、4月14日の2人の結婚10周年の日に、嫁の安美ちゃんが見つかった。でも、息子だけがまだね……。連休中に仙台に行って、安美ちゃんの遺骨を持って帰り、花瑚の隣にいさせてあげようと思っていたんです」

 息子の発見を待ち続け、5月になった。すると、1日、仙台から1本の連絡が廉さん夫婦のもとに入った。

「ある遺体の所持品の中に、純の免許証や診察券が出てきた、っていうんです。間違いないだろう、って」(隆子さん)

 隆子さんは海音ちゃんに、

「仙台に行こう」

 と誘ってみると、

「なんで仙台に行くの? パパの捜索に行くの?」

 という。

「ママのお迎えに行こうね。お姉ちゃんと一緒にいさせてあげよう」

 当初、仙台には安美さんの遺骨を取りに行く予定になっていた。そこに入ってきた、純さん発見の一報。祖父母は海音ちゃんを連れて、すぐさま仙台に向かった。

「息子の遺体安置所には海音は置いていきました。私と弟が行ったのですが、もう50日も経過しているので、遺体の確認をするのは、とてもつらいと説明を受け、私は見ることができませんでした。結局、弟に写真で確認してもらったのですが、弟も号泣するくらいつらいもので……。私も、息子の免許証を見ただけで涙が止まりませんでした」(隆子さん)

「うち、ひとりになっちゃった」

 海音ちゃんのことを思うと、泣きごとはいっていられないが隆子さんにとっても、純さんは大切なひとり息子だった。

「でも、5日に火葬することができたので、パパとママを一緒に連れて帰ることができたんです。これで3人が、やっとそろいました」

 それでも、海音ちゃんにはっきりと「死」について話すことはできなかった。

 ママの遺骨を預けているお寺に行ったときのこと。

「“ママに会いに行こう”っていったら、“行きたくない”っていうんです。もう、お姉ちゃんのところに行っちゃったことが、わかったんでしょうね。だけど、“やっぱりママに会ってくる。そのかわり、誰も来ないで。うち、ひとりで会う。あーちゃんも来ないで”っていうんです。そして、海音ひとりでお寺の中に入って行きました」

 中での様子は、後にお寺の奥さんに聞いて、またも孫の毅然とした姿に驚かされた。

 海音ちゃんは、ママの遺骨に優しく手を置いて、

海音さんが転校した学校の窓から見える、瓦礫の山('11年4月) 撮影/週刊女性写真班

「ママ、お姉ちゃんのところに一緒に連れて行ってあげるからね。ばーばもひとりじゃかわいそうだから、ばーばも一緒だよ」

 と、母方の祖母のことも思いやり、肩を震わせ大粒の涙を流していたという。

「お寺から出てくる直前に、一生懸命、涙をふいている姿が見えました。外に出てきたときには、泣いてないふりをして……」

 隆子さんは、そんな孫の姿を見て「本当に強い子」だと実感したが、海音ちゃんの本心を垣間見た言葉もあった。

「熊谷家は、うち、ひとりになっちゃった」

 突然の言葉に隆子さんは、

「あーちゃんも、じーじも同じ熊谷家なんだよ」

 といったが海音ちゃんは、

「うちの熊谷家は、パパとママとお姉ちゃんだけなの。だから、うち、ひとりしかいないの。あーちゃんの熊谷家とは違うの」

 これには、なんていったらいいのか、言葉に詰まってしまったという。

「でも、パパとママも見つかり、これでお姉ちゃんと3人そろうことができ、今はホッとしています。海音は家に帰り、3人に手向けたお花が少しでも枯れると“新しいお花に替えてあげなきゃ”って、毎日、手を合わせています。私たち夫婦は、この子に生かされているな、ってすごく感じるんです。3人が亡くなったときは、海音ひとりが残され、あまりにも不憫で、一緒に死ぬことも考えました。どう育てたらいいのか、何度も泣きました。でも今は、海音にとても大きな力をもらっています

 きれいな花を見れば、パパとママとお姉ちゃんを思い出し、夜空を見上げれば、いつでも3人に会える。

 そんな海音ちゃんは、また祖父母を元気づける源にもなっている。