(左から)小泉今日子、中森明菜

 ここ数年、80年代アイドルのブームが続いている。中でも中森明菜(57)の人気はヒートアップするばかり。次に大きな波が来るのは同じ82年組でデビュー40年のキョンキョンこと小泉今日子(56)ではないか。

キョンキョンブーム来るか

 予兆はある。2月から3月にかけて行なわれた31年ぶりの全国ツアー(東京・中野サンプラザホーなど15公演)は大盛況だった。

「40代以上なら誰もが知る『なんてったってアイドル』や『ヤマトナデシコ七変化』など往年のヒット曲ばかり21曲を歌った。観客はキョンキョンと同年代の男女が中心だったが、20代から30代と思しき人も少なくなかった」(スポーツ紙音楽担当記者)

 一方、近年のキョンキョンは舞台に熱心。2015年に第50回紀伊國屋演劇賞を獲るなど評価も高い。9月9日からは故・向田邦子さん作の『阿修羅の如く』に主演する。5月にはプロデューサーとして『青空は後悔の証し』(主演・風間杜夫)を上演した。

 また、1月にはTikTok、2月にはYouTubeを開始。レコード会社幹部によると、現在のキョンキョンは「やりたいことを好き勝手にやっている」状態なんだそうだ。

「1982年のデビュー時から所属していたバーニングプロダクションを2018年に離れ、自分の会社の『株式会社 明後日』を持ちましたが、今もバックアップを受けています。だから自分のやりたいことが好きに出来る」(同・レコード会社幹部)

 同じバツイチのパートナー・豊原功補(56)とも好きにやっている。2018年には一緒に映像会社「新世界合同会社」を設立。小泉のプロデュースする舞台に豊原が出演することもある。それでも入籍する気配はない。

 明菜とは対照的。明菜は近藤真彦(58)との恋愛トラブルなどによって、デビュー時から所属した研音を1989年に去ったが、その後は仕事やスタッフに恵まれたとは言えない。

 退所後は新譜の制作が遅れるなど仕事上の不自由を強いられた。1999年には当時の所属レコード会社社長から「この業界に置いてはいけないアーティスト」とまで言われてしまった。

中森明菜と小泉今日子は仲が良い

 もっとも、キョンキョンと明菜は共通点も多い。なにより、仲がいいのだ。明菜が帯状疱疹を最初に発症した2010年ごろまでは2人で飲んでいる姿が目撃された。

 2人が同期であるだけでなく、ともに日本テレビ『スター誕生!』(1971年~1983年)出身者というせいもあるだろう。どちらも1981年の決勝大会で優勝した。キョンキョンは同3月、明菜は同7月だった。親近感が湧くのもうなずける。

『夜のヒットスタジオ』にて、「花の82年組」中森明菜と小泉今日子をパシャり

 2人の共通点はまだある。1982年の『第24回日本レコード大賞』の新人賞(5人)に2人とも選ばれなかった。入賞したのは石川秀美(56)、シブがき隊、早見優(56)、堀ちえみ(55)、松本伊代(57)。激戦だったとはいえ、2人ともショックだったようだ。

「キョンキョンの場合、この新人賞落選で腹を括った。翌1983年5月リリースのシングル『まっ赤な女の子』から、松田聖子さん風だったミディアムの髪をショートにした。バッサリと髪を切った。大きな決断でした。

 なにしろキョンキョンは聖子さんに憧れていましたから。ショートにしたときからキョンキョンの快進撃が始まりました」(同・レコード会社幹部)

 髪を切ることで自分の性根を据えたのだろう。デビュー前から根性があったそうだ。たとえば下手だった歌が努力の末に上手くなった。

 キョンキョンは当初から声や表現力、ルックスは光っていたものの、歌唱力はなかった。それは本人もインタビューなどで認めている。

 このため、『スタ誕』の優勝から『私の16才』でデビューする1982年3月までの約1年間、マン・ツー・マンの歌唱トレーニングをみっちりと受けた。高田みづえ(62)と同じ講師で、かなり厳しい指導をする人だったが、その指導に耐え、歌唱力をものにした。

 元民放制作者によると、キョンキョンは若いころからプロ意識も強い。

「バカなことをやるように頼んでも不思議なくらい嫌がらない。よく“お仕事ですから”と言ってました。一方、明菜さんはそうはいかない。納得しないとやってくれない。それもプロ意識なのでしょう。その点、2人は正反対でした」(元民放制作者)

 正反対だから2人は親しくなったのか。ほかにもキョンキョンには特徴がある。「3人姉妹の末っ子のせいなのか、昔から芯が強い」(同・元民放制作者)という。

 デビュー前後は父親の会社が倒産し、一家が散り散りになった時期。だが、周囲が家庭のことを聞いても嫌がらず、それどころか明るく「あー、父は家でお酒ばっかり飲んでますよ」と答えていた。

「MCをやったら成功する」

 プロ意識が強いので仕事とプライベートはきっちり分ける。オフにはスッピンで街を歩くこともある。

「表参道もスッピン、普段着で歩いていました。1日中、芸能人であるのを嫌う人」(前出・レコード会社幹部)

 だから、仕事を離れると自身のツイッターで個人として「#検察庁法改正案に抗議します」(2020年5月)などの政治的意見も発信する。芸能人も1人の市民なので、意見を言えるのは当たり前だが、それを批判する人もいる。

 だが、芯の強いキョンキョンはひるまない。昔から人間性を縛り付けられるのが嫌なのだ。最近のインタビューでもアイドル時代をこう振り返った。

《大人たちは勝手に“アイドルはこうあるべきだ”とか“子どもはこうあるべきだ”とか、型にはめようとしたり、プレッシャーを与えたりしがち。だけど、“ちょっと待ってよ”と思いました。彼らの望み通りになれないことに罪悪感を感じてしまうのは、すごく良くない》(毎日新聞デジタル8月30日付)

 これからのキョンキョンはどんな道を歩むのか。前出・元民放制作マンは「頭は良いし、2005年から10年間にわたって読売新聞の読書委員をやっていたくらいで、猛烈に本を読んでいるから、MCをやったら成功する」と語る。

 アイドル、CM女王、女優として歩んできたキョンキョンのアラ還の仕事として向いているかも知れない。キョンキョンがMCの音楽番組に仲の良い明菜が出演したら、80年代アイドルのファンは快哉を叫ぶのではないか。

 問題は現在のキョンキョンが「やりたいことを好き勝手にやっている」ということ。キョンキョンにとって、はたしてMCや明菜との共演はやりたいことだろうか?

『夜のヒットスタジオ』で談笑する、中森明菜と小泉今日子
取材・文/高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)放送コラムニスト、ジャーナリスト。1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立。 
2016年9月中旬、バーカウンターで50歳男性(右)の隣に座る小泉。豊原とお忍びで来店していた  
新たに立ち上げたHPに掲載された中森明菜の近影(公式HPより)

 

 

 

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