松本伊代とヒロミ

 アイドルからママタレへ。女性芸能人にはありがちな転身コースだが、その第1号かもしれないのが、松本伊代だ。というのも、彼女以前の大物アイドルはママタレとなることに積極的ではなかった。ひと世代上の山口百恵は結婚を機に引退。また、前年デビューの松田聖子は結婚後も芸風を変えず「ママドル」と呼ばれた。

 その点、伊代はかなりの歳月をママタレとして過ごしている。デビューが1981年('82年度)で、結婚が'93年、第1子誕生が'95年なので、アイドルだった期間は芸能人生の3分の1にも満たない。

「秩序感がない」と言われた理由

 ただ、彼女がアイドルだったころ、このような変化は想像できなかった。テレビデビューとなった『たのきん全力投球』(TBS系)での役どころは、田原俊彦の妹。歌手デビュー時のキャッチコピーも“瞳そらすな僕の妹”だ。あの「♪16だから~」のフレーズでおなじみのデビュー曲『センチメンタル・ジャーニー』のB面も『マイ・ブラザー』というブラコンをテーマにした曲だったりする。

 つまり、妹キャラで売り出されたわけだが、それは容姿的なところも大きい。デビュー前、雑誌『りぼん』にモデルとして登場していたように、少女マンガから飛び出したような美少女ぶり。身長156センチで体重38キロ、バスト72というスレンダーな体形も話題になった。

 一方、対照的だったのが、同い年で『ピンキーパンチ大逆転』(TBS系)でも共演した柏原芳恵。こちらはグラマータイプで、すぐに「日本のお母さん」っぽくなっていきそうな雰囲気を持っていた。現在の天皇陛下が皇太子時代にファンで、コンサートも観覧されたのは有名な話だ。

 これに対し、伊代には文化人のファンが多かった。田中康夫や糸井重里といった面々だ。ちなみに、人気絶頂の'82年には、逆に芳恵推しだという経済人類学者の栗本慎一郎がこんな発言をしていた。

「中性的というよりは、無性的だね。(略)だけど、伊代なんかお嫁さんにしたらゼッタイだめだろうね。秩序感がないもんね」

 この「秩序感がない」という指摘は、彼女の天然キャラを言い換えたものでもあるだろう。

 実際、彼女はデビュー当初からその天然キャラを発揮していた。新人賞レースでシブがき隊に「最優秀」をさらわれ続けていた彼女は、2組が受賞できる日本歌謡大賞で最優秀新人賞を獲得した際、

「やっといただけました!」

 と、叫んでしまう。当時の常識としては、本音が出すぎた発言だが、そんな無邪気な子どもっぽさが持ち味でもあったのだ。

その2年後には、あの「事件」が起こる。司会を務めていた深夜番組『オールナイトフジ』(フジテレビ系)で自著『伊代の女子大生 モテ講座』を宣伝。ところが、

「まだ読んでないんですけど」

 と口走り、ゴーストライターによる代作だとバレてしまった。なお、当時の彼女は短大の1年生。とはいえ「才女」というよりは「今どきの女子大生」っぽさを振りまいていたものだ。

ヒロミが「伊代=ママ」というイメージをつくった

 そんなわけで、アイドル時代には「ママタレ」となる未来を予感させていなかった伊代。とりあえず「バラドル」にでもなっていくのかと思っていたら、転機が訪れた。ヒロミとの結婚、である。

 なれ初めはまず、伊代がヒロミにひと目惚れ。やんちゃなキャラも顔も好みだったそうで、その後、番組での共演を機に自分からアプローチした。その関係を一気に深めたのは、'91年にヒロミが負った大ケガだ。

 深夜番組『1or8』(フジテレビ系)で人間ロケット花火に挑戦し、大やけどをした際、彼女は病室を見舞ったり、自宅療養中に包帯を替えたりした。人気アイドルにそこまで献身的にされれば、グッとくるのも当然だろう。その後、ヒロミは公私の別なく彼女を「ママ」と呼ぶようになるが、それはこのときの振る舞いに「母性」を感じたからかもしれない。

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 そして、彼がそう呼んだのは重要なポイントだ。というのも、ヒロミはそれまで、年上の実力者であるビートたけしを「たけちゃん」タモリを「タモさん」和田アキ子を「アコちゃん」と呼ぶなどしてきた。そうすることで、自分自身のランクアップと大物のカジュアル化に成功してきたわけだ。

 後輩に対しても、またしかり。『8時だJ』(テレビ朝日系)でジャニーズJr.たちと共演した際、まだ嵐になる前の相葉雅紀に“スーパーアイドル相葉ちゃん”というキャッチコピーをつけた。相葉の突出したアイドル性を見抜き、それを的確に表現したのである。そんなセンスを持つ男が、妻の呼び方に「ママ」を選び、公の場でもそれを盛んに使ったのだ。ヒロミこそが「伊代=ママ」というパブリックイメージをつくったともいえる。

 また、人間、呼ばれているうちにそれっぽくなっていくということもあり、伊代もだんだん「ママ」らしくなっていった。ふたり生まれた子どものうち、長男は小園凌央としてタレントデビューしたし、次男も高校野球でそこそこ活躍。これにより「母親」としての一面も話題になった。

 2005年には、同期の堀ちえみや早見優とともに『キューティー★マミー』というママタレユニットを結成して、CDをリリース。「ママ」を芸能活動にもしてしまったわけだ。

 が、そういうこと以上に大きかったのは、ヒロミが彼女の「ママ」ぶりを面白おかしくイジったことだろう。なにせ、デビュー当時に「お嫁さん」には向かないとまでいわれた天然キャラだ。結婚生活はエピソードの宝庫となった。

 塩コショウもせずにステーキを焼いたり、作り置きの夕食をのびやすいうどんにしたり。子どもが壁に落書きするのをやめさせるために「ここに書いちゃダメ」と自分が壁に大きく書いてしまった、というのもある。なお、筆者がいちばん好きなのは、役所で書類に署名する際、

「私の名字ってなんだっけ」

 と、家族に聞いたというもの。結婚で「松本」から「小園」に変わったわけだが、夫が「ヒロミ」の名で活動しているというのもあって、ついつい忘れるのだろう。また、あまり知られていないが、彼女はひどい片頭痛持ちだという。今月には、それがテーマの医療系ウェブ講演会にも出演する。そんな話ですら、ヒロミならほどよく笑いにかえられるのではないか。

子どもに「俺の女に何言ってんだ」

 なにせ、ツッコミを担当したB21スペシャルはダウンタウン、ウッチャンナンチャンとともにお笑い第三世代を牽引したグループ。彼女の天然ボケはツッコミのプロと結婚したことで、夫婦漫才のような面白さへとつながったのである。ただ、天然キャラが行きすぎることもある。'17年には、立ち入り禁止の線路内を歩いている写真をブログに投稿、鉄道営業法違反の疑いで書類送検されてしまった。

 このとき、ヒロミは『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出て、謝罪。

「本人は悪意はなく、あのとき気づかなかったかもしれないが、駄目なものは駄目」

 と、たしなめた。とまあ、一緒にいても離れていても、ツッコミにフォローにと忙しいわけだが、それはヒロミにとって、当たり前のチームプレーなのだろう。芸能活動を休んでいた時期、伊代が「隣で笑っていてくれた」ことに感謝しているという。休んでいた理由については、親友だった放送作家の病死によるショックなども関係していたとされるが、妻の明るさは救いになったはずだ。

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 そんな妻に対する愛も、ヒロミはてらいもなく口にする。今年5月の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)では、伊代がそれを明かした。息子たちが反抗的なことを言っても、

「俺の女に何言ってんだ、とか言って。なので、ヒロミさんがいるときは、ふたりともおとなしくしてくれます」

 とのこと。不倫などへの風当たりが強くなった今、こういうタイプの男性は、好感を獲得しやすい。今年3月には、妻の天然ぶりや夫婦愛をネタにした『神様との約束』という曲までリリース。歌番組にも出演した。

 先に夫婦漫才みたいだと書いたが、笑わせておいてちょっと泣かせたりもするあたりは、吉本新喜劇のようでもある。新喜劇といえば、関西のエンタメ界に長年君臨する最強のコンテンツ。伊代とヒロミのふたりも、芸能界最強夫婦のひと組なのだ。


寄稿:ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。近著に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)

 

 

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