目次
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ー 「秩序感がない」と言われた理由
Page 2
ー ヒロミが「伊代=ママ」というイメージをつくった
Page 3
ー 子どもに「俺の女に何言ってんだ」

 アイドルからママタレへ。女性芸能人にはありがちな転身コースだが、その第1号かもしれないのが、松本伊代だ。というのも、彼女以前の大物アイドルはママタレとなることに積極的ではなかった。ひと世代上の山口百恵は結婚を機に引退。また、前年デビューの松田聖子は結婚後も芸風を変えず「ママドル」と呼ばれた。

 その点、伊代はかなりの歳月をママタレとして過ごしている。デビューが1981年('82年度)で、結婚が'93年、第1子誕生が'95年なので、アイドルだった期間は芸能人生の3分の1にも満たない。

「秩序感がない」と言われた理由

 ただ、彼女がアイドルだったころ、このような変化は想像できなかった。テレビデビューとなった『たのきん全力投球』(TBS系)での役どころは、田原俊彦の妹。歌手デビュー時のキャッチコピーも“瞳そらすな僕の妹”だ。あの「♪16だから~」のフレーズでおなじみのデビュー曲『センチメンタル・ジャーニー』のB面も『マイ・ブラザー』というブラコンをテーマにした曲だったりする。

 つまり、妹キャラで売り出されたわけだが、それは容姿的なところも大きい。デビュー前、雑誌『りぼん』にモデルとして登場していたように、少女マンガから飛び出したような美少女ぶり。身長156センチで体重38キロ、バスト72というスレンダーな体形も話題になった。

 一方、対照的だったのが、同い年で『ピンキーパンチ大逆転』(TBS系)でも共演した柏原芳恵。こちらはグラマータイプで、すぐに「日本のお母さん」っぽくなっていきそうな雰囲気を持っていた。現在の天皇陛下が皇太子時代にファンで、コンサートも観覧されたのは有名な話だ。

 これに対し、伊代には文化人のファンが多かった。田中康夫や糸井重里といった面々だ。ちなみに、人気絶頂の'82年には、逆に芳恵推しだという経済人類学者の栗本慎一郎がこんな発言をしていた。

「中性的というよりは、無性的だね。(略)だけど、伊代なんかお嫁さんにしたらゼッタイだめだろうね。秩序感がないもんね」

 この「秩序感がない」という指摘は、彼女の天然キャラを言い換えたものでもあるだろう。

 実際、彼女はデビュー当初からその天然キャラを発揮していた。新人賞レースでシブがき隊に「最優秀」をさらわれ続けていた彼女は、2組が受賞できる日本歌謡大賞で最優秀新人賞を獲得した際、

「やっといただけました!」

 と、叫んでしまう。当時の常識としては、本音が出すぎた発言だが、そんな無邪気な子どもっぽさが持ち味でもあったのだ。