Jr.黄金期を築いた滝沢秀明(1998年)

 芸能プロダクションの中で断トツの売上高を誇るジャニーズ事務所が激震に見舞われている。もっとも、滝沢秀明氏(40)の副社長退任の予兆は1年以上前からあった。

今回の動乱は滝沢氏が10月31日付で退任したことから始まった。11月4日にはKing&Prince岸優太(27)、平野紫耀(25)、神宮寺勇太(25)の3人が来年5月をもってグループを脱退することが発表された。3人とも来秋までには同事務所も離れる。

 筆者は昨年9月、芸能プロダクション幹部たちの話に基づき、滝沢氏の厳しい状況を『週刊女性PRIME』に書いた『ジャニーズ事務所は新時代へ、滝沢副社長の課題とメリーさんに学ぶ「帝国」の築き方』

 各芸能プロは強力なライバルであるジャニーズ事務所の動向を常に気にしている。

《(滝沢氏は)クリエイティブなことは全面的に見ているし、会社運営にも関与している」(芸能プロ幹部)》

《(滝沢氏は)ほかの芸能プロから「オーバーワークではないか」と見られるほど役割が多い。2019年、タレントから経営者側に転身したため、補佐役のスタッフがいないことも背景にはある。

 滝沢氏の右腕の不在。目下のところ、これが同事務所の水面下での一番の問題点として挙げられる(2021年9月24日付『週刊女性PRIME』)》

滝沢秀明が背負っていたもの

 滝沢氏はクリエイティブ面のほぼ全てを見ていた。新人発掘から育成、プロデュース、ステージの演出……。ほかに海外進出の推進やデジタル面強化の旗振り役でもあった。しかし、芸能プロ幹部たちは「今のままじゃ続かない」と口をそろえていた。

 今回の副社長退任もオーバーワークと右腕役の不在が1番の理由と見て間違いない。それが解決する見通しも立たないから退任したのだ。

「事務所の先輩に補佐してもらえば良かったんじゃないか」という声が上がるかも知れない。だが、同事務所は先輩と後輩の上下関係がしっかりしているので、滝沢氏が先輩に助力を求めるのは難しかった。

 滝沢氏が2019年9月に副社長に就任してから1年以上が過ぎた2020年11月、東山紀之(56)はこう言っていた。

「タッキーが副社長になってくれてよかったですよ。ジャニーさんがやっぱり託すことができたんで」(TBS系『サワコの朝』2020年11月21日)

 東山に悪気は一切なかっただろうが、副社長に対する言葉ではない。サラリーマン経験者なら分かるはずだ。ほかの先輩たちも最後まで東山と同様の物言いだった。会社のナンバー2で役割は多く、責任も重いのに、いつまでも後輩扱い。滝沢氏の同事務所内でのやりにくさは容易に想像できる。

 創業社長で3年前に他界したジャニー喜多川さん(享年87)が滝沢氏の才能を大いに買っていたのは知られている。プロデューサーとしてなら第2のジャニーさんになれたかも知れない。

 ただし、ジャニーさんと滝沢氏には表面からは見えない大きな違いがあった。ジャニーさんには昨年亡くなった姉で元会長のメリー喜多川さん(享年93)がいて、営業統括や組織管理を一手に引き受けていた。それだけではない。凄腕の補佐役たちがそろっていたのだ。

 筆頭格は元ワーナーミュージック・ジャパンの会長で、のちにジャニーズ・エンタテイメント(ジャニーズ事務所系のレコード)社長も務めたA氏(74)。山下達郎(68)の育ての親的存在であり、KinKi Kidsのデビュー曲『硝子の少年』(1997年)を山下が作曲したのもA氏の存在があったから。

ヒットメーカーでリスク回避のプロ

 A氏が補佐したのは音楽面だけではなかった。1989年、当時は同事務所の一員だった近藤真彦(58)の自宅で中森明菜(57)が手首を切って騒動になると、沈静化に向けて奔走した。この件に限らず、同事務所の危機管理担当役でもあった。

 A氏らかつての補佐役の大半はジャニーさん、メリーさんの他界後、現場から去った。現在の社長である藤島ジュリー景子さん(56)と仲違いしたわけではない。ジャニーさんたちに仕えた人たちなので、高齢なのである。

ジャニー喜多川さん、メリー喜多川さん

 同事務所からは次々と若いタレントが出てくるので見落としがちだが、スタッフは世代交代の真っ最中。次の世代の補佐役が台頭してくるのはこれから。しかもジャニーさんとメリーさんの姉弟商店だったので世代交代は極めて難しい。もしも補佐役が育っていたら、滝沢氏ばかりに負担はかからず、退所もなかった。

 滝沢氏はジャニーズJr.の育成やプロデュースするジャニーズアイランドの社長も兼ねていた。その後任には元V6の井ノ原快彦(46)が就く。

 来年1月の帝国劇場(東京)のジャニーズJr.の公演『JOHNNYS' World Next Stage』の演出は井ノ原と東山紀之、堂本光一(43)が共同で行うことが早々と発表された。ほかの先輩たちもJr.の育成に関わっていく。滝沢氏に負担がかかり過ぎてしまった悔いが背景にあるだろう。

「ジュリー社長と滝沢氏の衝突が副社長退任の理由」との声も一部であるものの、そのような声は芸能界内からは聞こえてこない。仲違いしたら、滝沢氏が山ほど仕事を背負わされることはない。同事務所側の説明通り、慰留もしている。あったのは意見の食い違い程度だろう。

 なにしろ約2年前から芸能界内では「ジュリー社長は滝沢氏に頼り切り」とすら言われていた。ジュリーさんがやや気落ちしていたせいでもある。

 ジュリー社長は自分がプロデュースしたTOKIOの長瀬智也(43)の脱退と同事務所退所を止められず、ショックを受けた。また、自分が育てた「嵐」が約2年前から活動を休止すると、やはり衝撃を受け、芸能プロダクション運営の難しさを痛感したとされている。それだけにタレント活動歴もある滝沢氏には側にいてほしかった。補佐役を求めているのはジュリー社長も同じなのである。

 では、なぜ10月31日付の退任だったのか。理由の1つは滝沢氏が手塩に掛けて育てたジャニーズJr.内グループ「Travis Japan」が10月28日、『JUST DANCE!』で米キャピタルレコードから同事務所で初の世界デビューを果たしたからに違いない。

 さらに「A.B.C-Z」のデビュー10周年と事務所設立60周年を記念した舞台『ジャニーズ伝説』が12月5日から帝国劇場(東京)で行われるからと言われている。

 この公演は1962年の同事務所設立とともに結成された初代ジャニーズの物語。ジャニー喜多川さんの作・構成・演出で2013年に初演され、昨年からはA.B.C-Zが演出も担当している。

 今年はメモリアル公演。滝沢氏がステージで挨拶するか、コメントを出すのが自然だった。しかし、その直後に辞めることは滝沢氏にとって不本意だろうし、コメントしてから間もなく退任するのも避けたかったに違いない。

なぜ立て続けに発表があったのか

 King & Princeの平野、岸、神宮寺の退所発表が滝沢氏の退任直後になったのは、ネガティブな話は一気に済ませようとしたからだろう。同事務所のもう1人の副社長は芸能界屈指の凄腕広報マンである。ジャニーさん、メリーさんの時代から宣伝と広報を統括している。

 補佐役不在という滝沢社長の退任理由はKing & Princeの平野、岸、神宮寺の退所理由とも結びつく。退所発表の際、平野はこうコメントした。

「デビュー当時からジャニーさんとしていた夢、ジャニーさんとしていた約束、そしてファンの皆さんとしていた約束、“海外で活躍できるグループになること”を目指して頑張ってきました(中略)全力で取り組んだとしても“もう遅いな”と感じてしまい、目標を失い、今回の決断に至りました」

King&Princeの平野紫耀

 所属タレントの海外展開を支援する補佐役も不在だったのだ。

 また、同事務所は男性アイドルにかけてはライバルの芸能プロの追従を許さないが、30代、40代、50代をマネージメントする芸能プロとしては成熟しているとは言い難い。滝沢氏はアイドル専門ではない芸能プロへの脱皮を目指したものの、やはり補佐役に欠けた。

 同事務所は組織を支える補佐役探しが急務だ。一方、滝沢氏が今後、新人発掘と育成、プロデュースの道を再び歩き始めるとしたら、ほかの芸能プロから引く手あまたである。

取材・文/高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)放送コラムニスト、ジャーナリスト。1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立。
観戦スタンドに姿を現したメンバーひとつ上の階にいた岩橋も入るように6人で自撮りをしているKing&Prince(ツイッターより)

 

鈴鹿サーキット」で開催された「F1日本グランプリ」を観戦するKing&Prince(ツイッターより※画像は一部編集部で加工)

 

レーシングカーの写真も投稿した堂本光一(インスタグラムより)

 

鈴鹿を訪れたことをインスタで報告する岩橋玄樹(インスタグラムより)