妻が介護施設に入ったため、2年以上前からひとり暮らしを続けているという、直木賞作家の阿刀田高さん。ほどほど、無理せず、料理も洗濯も独身時代を思い出して楽しみながら続けているとか。ユーモアと「キョウヨウ」を忘れない、阿刀田さんの日々の過ごし方をお伺いしました。
“まごにわやさしく”で栄養バランスも
9月に『90歳、男のひとり暮らし』(新潮選書)を上梓した作家の阿刀田高さん。今年5月に認知症を患っていた妻を見送ったが、施設に入っていたため、阿刀田さんは2年以上前からひとり暮らしを続けてきた。
高齢女性のひとり暮らしエッセイはこれまでも出版されてきたが、ひとり暮らしの高齢男性、しかも作家がユーモアを交えながら機嫌よく暮らすヒントを綴ったエッセイは貴重だ。毎日どのような暮らしをしているのか、まずは1日のスケジュールから伺った。
「朝は5時か6時に起床して朝食の支度をし、7時ごろには食事を済ませます。メニューはほぼ決まっていて、バタートーストにゆでたブロッコリー、トマト、チーズと牛乳、バナナ。“まごにわやさしく”(豆、ごま、肉、わかめ、野菜、魚、しいたけ、果物)の栄養バランスも少しは考えています」(阿刀田さん、以下同)
毎朝、鏡をしっかり見ることも忘れない。
「日中も3~4回は見ます。髪に櫛を入れて、3~4日ごとに髭を剃ります。汚い爺さんになるのは嫌ですからね。身だしなみレベルですが、着るものにも気を使っています」
朝食後はゴロリと寝転がってテレビを見る。9月に終了したNHKの朝ドラ『あんぱん』は久々に楽しんで見たドラマだった。
野球中継でドジャース・大谷翔平選手の活躍を楽しんだあと、身辺整理や執筆作業に取りかかる。買い物に行くときは人が少ない午前中に済ませるという。
「若いころ、リュックは格好悪いと思っていましたが、杖をついて歩くには両手が空いてるほうがいいのでリュック派に。昼食はインスタント食品にお湯を注いだり、レンジでチンしたり簡単なものを食べています。午後はまたテレビ。ドラマのテーマは殺人事件ばかりで、こんなに恨みが人間にあるかなと思いつつ、犯人を推理しながら見ています」
夕方は5時ごろから夕飯の支度。魚や肉を焼き、野菜スープを作る。
「少し塩味の出汁なので、みそを入れず、塩分調整しています。湯豆腐、豚汁、おでん、親子丼などを作ることも。どれもまあまあの出来ですが、それでいいんです」
料理のレパートリーは多くないが、何事も「終わるのが好き」だから料理を作れるのだという。
「今日はこれにしようと考えて作って、終わるとホッとする。外食は足が悪くなったこともあってほとんどしません。今は食事の宅配もありますが自分で作ったほうがおいしいんです」
やってくれる人がいなければ自分でやるしかない
昭和生まれの男性は、妻に家事を任せてきて、料理や掃除ができない人も少なくない。阿刀田さんが料理を作るのは、20代の7年間のひとり暮らしの経験が役立っている。
「コンビニやスーパーがないころだったので、食事は自分で作るしかなかった。70年前の杵柄です。今は掃除はヘルパーさんに頼み、洗濯は洗濯機がやってくれるので料理だけ。誰もやってくれる人がいなければ自分でやるしかない。当然のこと、普通のことです。
レストランで食べるようなおいしいものを作ろうと思ったら大変ですけど、トマトをぐちゃぐちゃに切ったって、トマトには違いない。だからいいやぐらいで考えれば、料理をしたことがない男性だって作れますよ」
夜はおおむね11時には就寝するという規則正しい生活で1日を締めくくるが、高齢者には「キョウヨウ」が大切だという。
「教養ではなく、今日、用があるかどうか。用があれば生活にリズムが生じ、張り合いのようなものが生まれます」
阿刀田さんは国立国会図書館で司書として11年間勤務したのちに作家デビューを果たした。戦後、16歳で父を亡くし、20歳で肺結核を発症。逆境の中、阿刀田さんを支えてきたのは読書だったという。
「おいしい料理は食べたらそれで終わりですが、本を1冊読むと3日間ぐらいは楽しめます。ただ、最近は目が悪くなり、本を読むのがつらくなってきた。年をとれば時間ができてたっぷり本を読めると思っていたのに、ちょっとアテが外れました。最近は拡大コピーをして読むようにしています」
執筆の際は「漢字が出てこない」「うまく字が書けない」といった衰えを感じることもある。
「情けないなあと思いますが、90歳になると諦めることになんの屈託もありません。達観の極みです」
読書ともうひとつ、阿刀田さんを支えてきたものが阪神タイガースだ。
「長い間、駄目トラだったので、『愛しているが信じていない』という名言を作ったほどです(笑)。恋愛にもそういうことがあるでしょう。ただ、最近の阪神はその場限りではなく、長期的な展望があって、少しは信じられるようになりました(笑)」
趣味といえば、老後は「通信簿の下のほう」が大切だと痛感している。小学校のとき、通信簿の上のほうに国語、算数、理科、社会、下のほうに図工、音楽、体育があった。
「私の家では上のほうが重視されましたが、老後は絵が描ける、ピアノが弾ける、山へ行くといった能力があるほうが楽しめることに気づきました。友人からの絵手紙はうれしいし、近所の年配者が吹くサックスはうらやましい。私は時折、墨をすり、いたずら書きを楽しむくらいで、そこはちょっと悔いがあります」
今年5月に妻を見送ってから、はや数か月。妻は認知症が進んでも、阿刀田さんが訪ねてくるのを一番の喜びにしていたそうだ。今はリビングの遺影に「おはよう」と笑いかけている。
あるがままに受け入れて『仕方ない』と思う
妻を見送った夫はガクンとくることも多いが、阿刀田さんは「これで自分もいつ死んでもいい」と楽になったと話す。妻の介護は自宅で2年、施設で2年に及んだ。
「介護をしているときは、この人より先に死んだらダメだというプレッシャーがずっとあったのでそこから解放されました。これで自分がいつ死んでも誰も困らない。自由に好きに生きればいいと」
著書の中で妻の介護についてほとんど触れていないところにも、妻への深い愛情が感じられる。
「認知症でいろいろ忘れてしまうことや、こちらも騙し騙し接していたことは、あまり語りたいことではない。何よりも妻の尊厳を守りたいという気持ちがあります」
90歳にして機嫌よく毎日を過ごすコツは「あまり欲望を持たないこと」と阿刀田さんは語る。
「大概のことは、あるがままに受け入れて『仕方ない』と思う。その限界の中で、何が自分にとって一番都合がいいかを考えながら、なんとかやっていくのが90歳の日常です。毎日は不自由であふれていても、ひとりで生きるという自由を享受しているのを、せめてもの喜び、慰めとして生きています」
90歳の次は、5年後の95歳バージョンにも期待がかかる。
「90歳と95歳は相当違うと思いますよ。自分の周りは律義だった人からの年賀状もどんどん来なくなるし、誰が生きてるんだろうと。編集者は私の最後の本を狙ってるんだろうけど(笑)」
お元気でユーモアにあふれる阿刀田さんの生き方から学びを得るシニア層は多いに違いない。
取材・文/紀和 静
あとうだ・たかし 1935年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館に勤務しながら執筆活動を続け、1978年、『冷蔵庫より愛をこめて』で小説家デビュー。1979年、短編集『ナポレオン狂』で直木賞、1995年、『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受賞。2018年には文化功労者に選出された。短編小説の名手として知られ、900編以上を発表するほか、『ギリシア神話を知っていますか』をはじめとする古典ダイジェストシリーズにもファンが多い。

