今の状態を受け入れるとケアするほうも楽になる
綾菜 入院中のお父さまと認知症のお母さま、双方のケアは大変でしたね。
阿川 わがままな父は病院で「ウナギが食いたい」なんて言うんです。さすがにそれはダメだろうと思って先生に聞くと「いいですよ。食べたいものはのどを通るんですよ」って。お酒もOK、外食もOKで、私もせっせとお酒や食材を運んでいました。後半は、病室ですき焼きまでしていましたからね(笑)。
綾菜 それはすごい! いい病院ですね~。
阿川 一方の母は認知症になっても性格は穏やかなままで助かりました。最初のころは、何とかして元に戻そうとしてイライラ、カッカしていたんですが、途中からだんだん“今の状態の母”を受け入れるようになってきて。
そうすると、笑えることも多くなってきたんです。例えば、私が来て3時間ほどたつのに突然「あら、びっくりした! いつ来たの?」って(笑)。トイレに行って戻ってきたらまた私の顔を見て「あら、びっくりした!」その繰り返し。
忘れていることを思い出させようとか、真実を伝えなければならないという考えを捨てて、今ここにいる母との会話を楽しむという方向で対処すると、ケアするほうも楽になるんですね。
綾菜 過去のことや5分後のことで思い悩むより“今”が大切ですものね。でも、なかなかそこまで達観するのは難しいように思います。
阿川 これは一般論ですが、男性のほうが母親に対する理想像があって、なかなか現実を受け入れられないところがあるような気がします。
女性は毎日起きることにどう対処するのか、ご飯はどうしようか、とかすぐさま対応策を考えますよね。とっても現実的なんです。
綾菜 悲観してばかりもいられない。そこは女性のほうが強いのかもしれません。でも、介護中にカーッとなったりしたことはありませんか?
阿川 もちろん、ありましたよ。でも、幸いなことに、認知症の人って引きずらないのね。私が“何度言ったらわかるの!?”と叱ってしまい、母は泣いていても、5分もたつとケロッとしているの。それはありがたいことでしたね。
綾菜 認知症も初期のころは、本人も苦しいんですよね。
阿川 そうなんです。母も初期のころ、物をため込んで捨てられなくなっていたんです。家中に不用なものがあふれかえっているのを見て、ある時私がこっそり整理をしていたら、その中に母のメモがあって「忘れた、忘れた、バカ、バカ」って書いてあったんです。それを見たときは、とても切なくなりました。
綾菜 お母さまは、お父さまが亡くなられてから病院に入ったのですか?
阿川 コロナの始まる少し前に、父がお世話になった病院にショートステイのつもりで預けたら、そこで軽い脳梗塞を起こし、昨年その病院で他界しました。父の最期には、仕事が終わってから駆けつけたので間に合わなかったんですが、母の最期には、弟と一緒に7時間くらいずっとつき添って、看取ることができたんです。
LAに住んでいる弟もテレビ電話でつないでお別れできました。母が死ぬときは号泣すると思っていたのに、私も弟も泣かなかったんです。息を引き取るまでの母と付き合えたということがとても大事だったと実感しました。