大切なのは、心の準備をすること

綾菜 看取りって、時間をかけてだんだんと死を受け入れていくことなのかもしれませんね。亡くなる本人のためというより、送る側の気持ちを整理していくのに必要なプロセスのようにも思います。

阿川 本当にそうですね。両親が亡くなったときも思ったんですが、お通夜やお葬式、初七日、四十九日という一連の儀式で少しずつ、少しずつ死を納得して受け入れていくことができたように思うんです。そう考えると、コロナなどで突然、近しい人を失ったりすると、なかなか納得できないのではないでしょうか。

綾菜 志村けんさんの死もあまりに突然だったので、加トちゃんはまだちゃんと受け入れられていないような気がします。親友の小野ヤスシさんが亡くなったときは、看取ったんですよ。あんなに泣いているのは初めて見たほど号泣していたのですが、それで唯一無二の親友の死を受け入れて、前に進もうという気持ちになれたように思います。

阿川 心の準備ができることは、とても大切ですね。

綾菜 加トちゃんの74歳になる仲よしのお友達が、この前会ったとき「自分は独身だし、両親もいないし、死ぬときは独りぼっちだな」と言ったんです。すかさず「私が看取りますから大丈夫です!」と言っておきました(笑)。

阿川 それは、そのお友達も心強いね。綾菜さんは介護のプロだし(笑)。

介護でストレスがたまったら「こっそり憂さ晴らしをしちゃうのよ」と、ふふと笑う阿川さん
介護でストレスがたまったら「こっそり憂さ晴らしをしちゃうのよ」と、ふふと笑う阿川さん
【写真】介護や看取りについて対談した加藤綾菜(左)と阿川佐和子(右)

綾菜 でも、こんなふうに介護のことをいろんなところで話したりしていますけど、将来、加トちゃんの介護をする心がまえはできているかというと、正直、全然できていないんですよ。ほかの人ならオムツ替えでも何でも平気なのですが、加トちゃんがもしそうなったらと考えるとあまりにショックすぎて想像もつかない……。

阿川 40代のころにふと、親の介護をする日が来るんだろうかと想像したことを覚えているんです。そのころのほうが、ずっと怖かったように思います。体験した人の話などを聞いても、あれこれと想像すると恐怖心が大きかったんです。

 でも、実際にそうなると、とにかく対処するしかないですから、考える間もなくやっちゃうものなんだと思います。もちろん、大変なことはたくさんありましたよ。一度なんか、夜中にトイレに立った母が中で転んじゃって、助けようにもドアが開かなくなっちゃったりして。

「鍵、開けて~!」と外から叫んでもダメ。中でどんな状態で倒れているかもわからないし、ようやく何かの拍子に母が鍵をガチャッとはずしたのはよかったんだけど、今度は母の身体が邪魔してドアが開かない。

 手を引っ張ろうとすると痛がるし、悪戦苦闘してもうヘットヘトでした。肝心の母はケロッとしていて、私の顔を見て「あんた、きれいね~」なんて言ってるんですけどね(笑)。

綾菜 私の祖父はトイレで倒れて亡くなったんです。母が用事で東京に行っていて、私は当時、高校2年生だったんですが、弟と祖父の家に泊まっていました。夜中おばあちゃんに「おじいちゃんが倒れた」と起こされて、すぐ救急車を呼んだのですが、意識は戻らなくて……。

 母はトンボ返りで戻ってきて、みんなで付き添っていると、祖父はボロボロと涙を流していました。聴覚は最後まで残ると聞いたことを思い出して、必死で「おじいちゃん、ありがとう!」と話しかけたんですけど、結局そのまま意識が戻ることなく亡くなりました。

阿川 それは大変な経験をしましたね。聴覚が最後まで残るというのは、私も亡くなった聖路加国際病院の日野原先生からお聞きしたことがあります。おじいさまにもきっと、綾菜さんの声が届いて、気持ちは伝わっていましたよ。みんなでしっかりお別れできてよかったですね。