自己憐憫とは、文字通り「私ってかわいそう」と思いこむことを指します。世の中には本当にかわいそうな人もいっぱいいるわけですが、自己憐憫とは客観的な証拠を必要としません。ですから、人から見てものすごく恵まれているように見えても、本人が「私ってかわいそう」と思っていることはある。つまり、自己憐憫は独善的もしくは利己的な感情とも言えるのです。自己愛の強い人のほうが、自己憐憫に陥りやすいとされています。

「私ってかわいそう」と思いこむ人は、被害者意識が強く、反対に他人の痛みに鈍感と言われています。「文春」による不倫報道第一弾の後、広末は不倫を認め、謝罪する文章をインスタグラムで発表していますが、「私自身の家族、3人のこどもたちには、膝をつき合わせ直接、『ごめんなさい』をしました。彼らは未熟な母親である私を、理解し認めてくれました」と書いています。広末が「子どもが理解してくれている」と本気で信じていることに、私は口をあんぐりさせたのでした。

広末涼子と元夫のキャンドル・ジュン氏
広末涼子と元夫のキャンドル・ジュン氏
【写真】魔性の美脚を披露する超ミニスカの広末涼子

「ごめんなさい」という軽い言葉を使えた理由

 親の不倫離婚が、子どものメンタルに悪影響を及ぼすことは、カウンセラーなど多くの心理職が指摘しているところです。私の近しい人にも、10代で親の不倫を知ってしまった人がいますが、成績はガタ落ちで受験校を変更せざるを得なかった、異性観が歪んで(浮気されるのが怖くて、恋人を過度に束縛してしまう)結婚と離婚を繰り返すなど、親の不倫は子どもの先々の人生にまで影響を及ぼすこともある。もちろん、親の不倫を知った人全員がこのようなことになるというわけではありませんが、広末は他人の痛みに鈍感ゆえに、自分がしたことがどれだけ子どもを傷つけたか気づかず、だから「ごめんなさい」という軽い言葉を使えるのではないでしょうか。

 アメリカのカウンセラー、スーザン・フォワードは「毒になる親 一生苦しむ子ども」(講談社+α文庫)において、問題のある親に育てられた子どもが取る態度は、服従か抵抗のどちらかだと指摘しています。キャンドル氏は会見で、広末が「パパとママは離婚するけど、どっちと暮らしたい?」と聞いたところ、長男と次男は「ママを守る」と広末を選んだことを明かしていました。麗しき母子愛と見る人もいるでしょうが、それは円満な家庭のお話。本来なら親が子どもを守るはずなのに、子どもに害を与えた母親を、非力な子どもが守ろうとするというおかしな逆転現象が起きていることにお気づきでしょうか。

 これは子どもの本心というよりも、親に見捨てられないための行動と言われています。しかし、害を与える親は自分の横暴さに気付きませんから、「うちの子はわかってくれる、子どもは私の味方」と思いこみます。一方の子どもは好き放題する親に振り回され、しりぬぐいをし、親のためにしか生きられなくなってしまいます。

若かりしころの広末涼子
若かりしころの広末涼子

 「私ってかわいそう」と思いこむ人にとって、自分を否定しない(できない)子どもという存在は絶対に手放したくないでしょうから、子どもに固執するでしょう。その結果、子どもを傷つけるようなことを平気でしながら、子どもとは絶対に離れようとしないという、第三者から見るとおかしな現象が起きていくのだと思います。