岡山県の施設で、装着型の器械を使って脚を動かす練習。過酷なリハビリにも弱音は吐かない
岡山県の施設で、装着型の器械を使って脚を動かす練習。過酷なリハビリにも弱音は吐かない
【写真】過酷なリハビリを行うりおなちゃんの様子

 りおなちゃんのことを一番近くで見守り、支えてきた佳寿美さんが、これまでの子育てを振り返る。

「りおなの妊娠がわかったのは、長男の育児休暇が終わり職場復帰をしてのころ。少し早いかなと思いつつも子どもは2人欲しかったので、夫と一緒に喜んだのを覚えています」

原因不明の病気『側弯症』と診断される

 しかし、まさに妊娠が判明したその日、2歳の長男が『急性脳症』で救急搬送。次いで、おなかの子は身体全体がむくみ心機能が低下してしまう病気、『胎児水腫』であることがわかったのだ。

お医者さんから『この子は生まれてこられないかもしれない。もし生まれても、重い障がいがあるかも』と言われたときは、頭が真っ白になりました。本当に悩みましたし、夫婦で何度も話し合って……。でも、このとき回復は絶望的と言われていた長男の病気が奇跡的に完治。おなかの子にも"奇跡”を信じることにしたんです

 しかし、りおなちゃんは生まれてすぐ新生児集中治療室に運ばれた。『下顎後退症』という病気で、呼吸がしづらく危険な状態だったためだ。

さらに、上顎に穴が開く『口蓋裂』の影響で、集中治療室から出たあとも母乳を吸えなくて。ミルクは鼻から胃までチューブを通して注入していました

 退院後も、自宅で鼻チューブでの食事補助は続いた。

2時間かけて慎重にミルクを入れるのですが、当然泣いて嫌がるし、ほとんど吐いてしまって。これを1日に8〜10回行うんです。吐き戻しで汚れた服なども洗濯しなくちゃいけないし、1か月のうち半分以上通っていたかかりつけの病院までは車で片道1時間。長男もいたので、毎日が手いっぱいで

 りおなちゃんが2歳になるころ、口蓋裂は手術で完治。しだいに食事に支障はなくなり、言葉の発達も順調。ようやく穏やかな日々が訪れる……かに思われた。

2歳半のころ、今度は背骨に異常が見つかりました。通常まっすぐ伸びるはずの背骨が徐々に曲がっていく原因不明の病気『側弯症』と診断されたんです。りおなの場合、急激なスピードで進行して肺や心臓を圧迫し、4歳半ごろには手術を受けることに」

 手術によって骨のねじれは改善されたが、手術中に脊髄が圧迫された影響で─下半身に麻痺が残った。

脚が動かせず歩けなくなったと知ったりおなは、ショックで泣いてしまって……。2度目の手術で脊髄の神経が回復する可能性が見えて、少し前向きになれたことはせめてもの救いでした