■父親の介護をきっかけにした小説

 かつて、中学校の校長や公立図書館の館長を務めた東昇平には3人の娘と孫がおり、長年、妻とふたり暮らしをしている。昇平は10年ほど前から認知症を患い妻や娘の名前すらも忘れてしまっているのだが–––。

 中島京子さんの新刊『長いお別れ』は、認知症を患った父親と、彼を取りまく家族の日常を描いた連作集だ。

 本作の執筆には、フランス文学者であり大学教授でもあった中島さんの父親の存在が深く関わっているという。

「父は2004年に認知症と診断され、2013年に他界したんです。私は2003年に『FUTON』でデビューしたのですが、父はこの作品だけは読んでくれました。2作目は2005年に刊行されたのですが、そのころの父はもう長い小説を読めなくなっていたんです。

 デビューのころから、徐々に病気が進行する父の姿を見ているうちに、認知症には想像もつかないような興味深い症状がいろいろあることがわかったんです。いつか、そのことを小説に書きたいと思っていました」

 当初の中島さんは長編小説をイメージしていたそうだが、現実には書きあぐねていた期間が長かったと振り返る。

「そんなとき、『嗜み』から好きなテーマで1篇、小説を書いてみませんかとお話をいただいたので、習作的に認知症の家族のお話を執筆したんです。その1篇をきっかけに連作短編として書き続け、『長いお別れ』ができあがりました」

“認知症”や“介護”といった言葉には、つらく苦しい印象がつきまとう。だが、『長いお別れ』には悲劇性というよりは、ほのぼのとしたおかしさや青春小説のような切なさがある。

 例えば、妻や娘の名前を忘れてしまった昇平が、「蟋蟀(こおろぎ)」という漢字をさらりと書く場面がある。

「私自身、認知症の父の介護を手伝う中で、笑わせられるような場面にたくさん遭遇したんです。私の名前を忘れている父が“鼠”という漢字をスラスラと書いたときには、本当に驚いて。

 ほかにも、父は“ほぅ”とか“知らなかったなぁ”とか相づちを打つのがとてもうまくて、人との会話が成立しているように見えることが多々ありました。私にはフランス生まれフランス育ちの姪がいるのですが、夏休みに遊びに来ていたとき、父の見事な相づちを目の当たりにしてビックリしていました。“私もやってみようと思ったけど、どこで『ほぅ』って言っていいのかわからなくてできなかった。おじいちゃんはすごい!”と絶賛しながらフランスに帰っていったことを今でもよく覚えています(笑い)」