美智子さまと秋篠宮さまのスタンスの違い
「大きな変化があったのは'90年代です。紀子さまや雅子さまが皇室に入られ、メディアはこぞって皇室の話題を取り上げました。その過程で“宮内庁がプライバシーを守らなくては”という考え方が強まっていったのでしょう。批判に対し、皇室の方がご自身でアクションを起こされるようになったのも、このころです」(笠原教授)
皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは当時をこう振り返る。
「'93年10月、美智子さまは59歳のお誕生日に皇居で倒れられました。美智子さまにとってその1年は大変な激務でした。過密スケジュールで公務をこなされる疲労や緊張に加え、一部からの皇后バッシングがストレスとなり、失声症を患われたのです」
そんな中で公表された誕生日文書には、美智子さまの前向きな“姿勢”が表れていた。
《どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許して頂きたいと思います。(略)しかし事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます》
「当時は、皇族が公の場でことの善しあしを言わないことが基本でした。それを踏まえつつ、美智子さまは国民の声に真摯に向き合われたのです。その後、わずか1週間でご復帰。公務でお言葉が戻ったのは、翌年2月のことでした」(渡邉さん)
美智子さまのひたむきな言動により、バッシングは次第に緩和されていった。
「当時の秋篠宮さまは、ご両親の生き方を学ばれ、皇族としてのお手本にされていました。'97年の誕生日会見では“皇室は、日本国民の支持があるからこそ続いている”とも述べられ、“平成流”らしいご発言だと感嘆したものです」(宮内庁OB)
今回、秋篠宮さまが一石を投じた目的は29年前の美智子さまのご意向と同じようにも見えるが、しかし─。
「ご自身に至らないところがあると前置きされた美智子さまに対し、今回の“苦言”は、はなから反論姿勢でした。これでは国民が身構えてしまうのも無理はない。
歴史上、皇室と国民は敵対関係にはなく、むしろ弱い立場にある国民に寄り添う立場として皇室が存在してきました。そういった歴史や伝統を改めて勉強なさることが、皇室と国民の幸せな関係を取り戻すことにつながるのではないでしょうか」(八木教授)
美智子さまの教えは、皇室危機を救う“特効薬”となるだろうか。
渡邉みどり ◎皇室ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。60年以上にわたり皇室を取材
笠原英彦 ◎慶應義塾大学法学部教授。日本政治史、皇室制度史などを専攻とし、著書多数
八木秀次 ◎麗澤大学国際学部教授。専攻は憲法学。皇位継承に関する有識者会議にも参加