創刊号の表紙は人気洋画家の東郷青児の女性像。この号では「独身女性は不道徳か」なる特集が組まれていた。

 1957年創刊の『週刊女性』は今年、創刊60周年を迎えた。昭和から平成へ、時代をまたいでニュースを報道し、幾多のスクープをあげてきたベテラン編集部員たちに話を聞いた。

「僕が入社してからの40年ほどで、取材方法は大きく変わりましたね」

 と語るのは社歴40年、編集部の最長老・Sカメラマン。松田聖子と郷ひろみの破局会見など、歴史に残る会見を数多く取材してきた。

「当時の取材は費用がかかっていました」

 と、週女歴35年・山口百恵さんの自宅張り込みなどを担当したYカメラマンもうなずく。まず記者やカメラマンたちの足となるのが、自社が契約する運転手つきハイヤーだ。

1日の車代が3万、4万なんて当たり前。出社したら毎日、ハイヤーに乗りそのまま夜まで走りっぱなし。ハイヤー代が月に数千万円かかる取材もありました」(Yカメラマン)

 そんな派手な時代、海外取材も多かった。芸能人恒例の年末年始ハワイ旅行は、取材のために10日以上滞在していたとか。

「華やかに聞こえても、取材班はヘトヘト。朝3時起きで、5時の便を待ち伏せし、そのまま午前中は空港に張りつきっぱなし。午後からはショッピングセンターやレストランなど芸能人の出没スポットを巡る。夜になると、もうグッタリで……」(Yカメラマン)

 変化したのは費用だけでなく、芸能事務所との関係も。

「当時は編集部内に、各芸能事務所とつながりの深い記者がそれぞれいました」

 とは社歴20年あまり、自身はホリプロなどを担当したT記者。

新婚旅行になじみの記者が同行するのは当たり前。その先の妊娠、出産、お宮参り、七五三までセットで、芸能人のプライベートを堂々と撮影させてもらえる時代でした」(Sカメラマン)

 なんと、子どもの顔がバッチリ写った写真が、グラビアを飾っていたという。

集めた子どもの写真を使って、“この子は誰の子?”なんてクイズを作ったり(笑)。今では考えられませんよね」(T記者)

 ’60年代前半には芸能人宅のおおまかな住所まで掲載されているような、おおらかな時代があったという。