目次
Page 1
ー 親との関係がこじれ出した介護の入り口
Page 2
ー 常に選択が迫られる介護でも前に進むしかない
Page 3
ー 「あと少しだけ」と毎日祈っている
Page 4
ー 大崎さんが実感した後悔しない施設選び【5か条】

「介護を始めたころは、知らないことばかりで、気持ちに余裕もなくて、いつも焦り、何かにいら立っていました。どこか孤独で、不安で、先のことを考えると怖くて眠れない日もありました」

親との関係がこじれ出した介護の入り口

 そう話すのは、『週刊朝日』編集部で記者として活躍していた大崎百紀さん(55)。現在も両親の介護をする日々を過ごしている。

「母は60歳を過ぎてから視力が落ち、視覚障害者の認定を受けています。それでもわずかに残る視力で料理も洗濯もしていたし、買い物にも1人で行っていました」

 “老いて子どもの世話にはなりたくない”が口癖だった母親だが、75歳を過ぎたあたりから急激に足腰が弱くなり、階段から落ちて圧迫骨折をして以来、生活がおぼつかなくなっていった。

 父親は65歳を過ぎたころから同じことを何度も口にするようになり、アルツハイマー認知症と診断された。

「それでも80歳を過ぎても、足腰はしっかりしていましたし、会話のやりとりもまあまあ続き、得意のユーモアも健在でした」

 大崎さんの両親はしばらくの間、要介護高齢者として自宅で2人暮らしを送っていた。その生活が一変したのは、2019年11月16日だった。

 母親が79歳を迎える年、玄関先の小さな段差につまずいて転倒して頭部を強打。その場で意識を失って通行人の助けで救急搬送されたのだ。

「転倒直後の母の様子は普段と変わりませんでした。搬送後は検査で異常がないことがわかるとすぐに帰宅しましたし、命に関わるほどではありませんでした。

 ただ、時間がたつうちに明らかに様子がおかしくなりました。怒りっぽくなり、感情のコントロールができなくなってヒステリックになりました」

 以前より転びやすくなって歩行はいよいよ厳しくなり、排泄(はいせつ)のコントロールも困難に。認知症症状の悪化だ。また、頭部から前向きに転倒した影響で眼底出血もあり、視力もますます落ちていった。