大崎さんは頻繁に実家へ行き両親の生活を支えた。

 しかし“介護の入り口ほど親との関係が難しい”と実感した。母親の症状が悪化していく中で、妄想の激しい言動に怒りが湧き、ゴミ屋敷と化していく実家を片づけ続けると、感謝どころか「余計なことをしないで」と言われる始末。

 これは認知症だからしょうがないんだ……わかっているけれども受け入れられない。つらく苦しい時期を過ごした。認知症は“身内にいちばんきつくあたる”のだ。

 そして、とうとう自宅での介護に限界を感じてからは、介護施設探しに奔走した。しかし、いったんは特別養護老人ホームに入所したものの施設生活になじめず、生きる気力さえ失っていく両親の様子を見て、1年もたたずに退所を決意。

 “この施設で死なせたら一生後悔する”と、再び大崎さんが在宅介護をしていた時期もあるという。

常に選択が迫られる介護でも前に進むしかない

 その後もさまざまな介護サービスを活用しつつ、体調悪化による入院など、病状が変わりやすい両親の介護をめまぐるしくしていた。

 2023年の年明けには母親が新型コロナウイルスに感染して入院。口からの食事摂取が厳しくなり、延命手段の決断を迫られた。

 血管から栄養を入れる人工栄養にして生き延びることを、母親は「いいわよ」と受け入れつつ、「いいのよ、死んでも。ほっときゃいいのよ」と、どこか投げやりに答えたそう。それでも父親の強い延命希望もあり決断した。

「母の人生の残り時間の延長ボタンを私が押すことをしてしまいました。自分の出した決断に私は一生責任を持たなければなりません」

 介護の大変さは「自分以外の人生の選択を任され、それに責任を持って生きていかなければならないことに尽きる」と大崎さんは語る。

 また、実の姉と介護への足並みがそろわなかったこともこたえたという。特に在宅介護中は、余計なことはせずにただ見守る姿勢の姉と、全力で介護に向き合い親とぶつかる自分の温度差を感じた。

「姉は“老人は老いたら子どもに迷惑をかけずに施設で暮らすのが当然”と考えるタイプで、介護に対する意識が姉妹でまったく違っていました。

 同じような温度感で悲しんだり、困ったり、気持ちを寄せ合えていたら、父と母にまつわるネガティブな出来事もかなり乗り越えられたと思いますが、それができなかったことは非常につらかった」

 ちなみに、介護に関するお金の管理は姉が担当。

「介護に関するお金はすべて両親のお金から出しています。姉からもらえない時や手元にない時は、両親に毎年あげていたお年玉をこっそり使っていました」

 唯一、大崎さんの夫だけがただ愚痴を聞いてくれ、気持ちに寄り添ってくれた。