「じいちゃん」の田んぼを守りたくて

 一方、町の基幹産業である農業に従事する田崎弘さんは、私が訪れた時期、非常に心を痛めていた。

 熊本市内で生まれ育ち、大学院の修士課程を修了後、農業分野で青年海外協力隊に参加、セネガルで2年間働いた。帰国後JICA(国際協力機構)で仕事をしているうち、自分でも有機農業に従事したいという思いを抱くようになった。

 2010年に御船町に入り、吉無田(よしむた)高原近くの中山間地で畑を借りた。山あいの集落に田畑が点在している地域だ。この地域を車で走ると、地震による土砂崩れがあちこちに残り、竹林の竹が倒れ込んでいるのが目に入る。

 田崎さんはここで有機野菜を作ってきた。昨年の地震のときは1か月ほど避難所にいたので春先のキャベツやタマネギはまったく収穫できなかった。自宅は全壊、現在は仮設住宅暮らしだ。

仮設住宅暮らしで農業を続ける田崎さん
仮設住宅暮らしで農業を続ける田崎さん
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「実は一昨年、台風直撃で野菜がダメになったんです。そこへもってきて地震だから、ショックでした。さらについ先週(7月上旬)、また台風による豪雨で田畑が傷んでしまった。だから今、かなりへこんでいます」

 とはいえ、仕事は待ってくれない。

「田んぼで草取りしながら話してもいいですか」と、田崎さんはすまなそうに言い、私は田んぼのあぜ道で話を聞いた。

「この田んぼは今、僕にとっていちばん大事な場所です」

 丹念に草を取りながら田崎さんは言う。農業をやろうとこの町に入ってきたときから世話になっている大事な人の田んぼなのだそう。ただ、その「じいちゃん」は体調が思わしくない。そこで彼が田の世話を買ってでた。

「道路が田んぼより上にあるから、じいちゃんが通ると自分の田んぼを見下ろせる。きちんと世話をしているのがわかったら、じいちゃんも元気が出るかなと思って」

 自分が弱っているのに、他人の心配をしている田崎さん。地震後は多くの友人知人が駆けつけて手伝ってくれた。その優しさを彼もまた人に分けている。そして農業に対しては以前に増して感謝と期待が募ったとも。

「この土を耕したり触ったりした人間にしかわからないこんな素晴らしい土のある田んぼで米作りをする機会を与えてもらったという感謝、そして収穫までたどりついたら、どんなお米になるのだろうっていう期待があるんです」

 周囲の人と自然の恵みへの感謝があるからこそ、腰が痛くなるつらい草取りもできるのかもしれない。

 田んぼの中の彼は太陽の光を浴びて晴れやかな表情をしていた。

「大事な田んぼで草取りをしながらだと、素直な気持ちで話せるような気がして」

 あとから彼はそう言った。誠実な人柄が垣間見えた。

 御船町でもまた、人々はすでに地に足をつけて前を向いていた。地震をきっかけに今まで以上に人とのつながりが強まり、地域を盛り上げていこうとする気運が高まったという声が圧倒的に多い。新米ができるころ、ぜひ御船町を再訪したいと思っている。

◎取材・文/亀山早苗 

かめやま・さなえ  1960年、東京都生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに幅広くノンフィクションを執筆。熊本県のキャラクター「くまモン」に魅せられ、関連書籍を出版。震災後も20回熊本に通いつめ、取材を続ける。近著に『日本一赤ちゃんが産まれる病院 熊本・わさもん医師の「改革」のヒミツ』