「メディアも営利企業である以上、仕方がないじゃないか」と思うかもしれませんが、大衆(マス)に向けたメディアの使命は、社会的な問題や事件の本質を伝えること。テレビ局が電波使用の認可を受けているように、便宜をはかられているところもある以上、ビジネスを優先させすぎるのは、あるべき姿とはかけ離れています。

 そもそも大手メディアが営利企業の形を採っているのは、政府や巨大権力者に頼ることなく、公正・中立な報道をするため。「ジャーナリズムよりもビジネス優先」の姿勢では、多くの情報にふれて目の肥えた世間の人々に不信感を与えるだけであり、メディア不振につながってしまうでしょう。

 例えば、体操協会の対応を受けた宮川選手や塚原夫妻が異議を申し立てたら、メディアは一斉に報じるでしょう。しかし、今のところ両者はその姿勢を見せていないため、メディアにしてみれば、体操協会を含めた三者の間にわかりやすい対立構図が描けません。

 逆に言えば、そのようなわかりやすい対立構図が描けなければ報じず、問題や事件を掘り下げないことがメディアの課題であり、人々がもっと声を上げて要求するべきところなのです。

わずか半年前には大騒ぎだったのに、今回はまるで「放置」です(写真:東洋経済オンライン編集部撮影)
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最後まで見届けず何も得られない拙速さ

 次に、世間の人々にはびこる悪しき習慣は、「盛り上がっているときだけ発言して、ピークが過ぎると離れてしまう」こと。それまで時間を割いてニュースにふれ、SNSに書き込んでいたにもかかわらず、「しょせん自分には関係ない話」とフェードアウトし、ひどい人になると、「まだやってたのか?」「もうどうでもいい」と冷たく突き放してしまいます。

 すぐさま次に盛り上がりはじめたニュースに食いつき、それもピークを過ぎると再び離れてしまい、クモの子を散らすように誰もいなくなってしまうのです。

 ただ、誤解を招きがちなのは、SNSやニュースのコメント欄を見る限り、悪意のある人はごく一部にすぎず、大半は「知っている情報を踏まえたうえで、言葉をつづろう」としていること。当コラムの意図も、「悪意のある言葉はやめよう」というものではありません。

 そこで気になるのは、3月10日の終了後も称賛の声がやまないドラマ「3年A組」。最終回のクライマックスで主人公の柊一颯(菅田将暉)は、SNSユーザーに「お前らが浴びせた言葉の暴力が彼女の心を壊したんだよ」「今まで散々正義感を振りかざしてきたくせに、分が悪くなった途端に子どものように責任転嫁をはじめる。自分を正当化するのに必死だな」「お前のストレスの発散で他人の心をえぐるなよ」と訴えかけました。

 同作は「SNSで暴言を吐く人が多い」という前提になっていますが、前述したようにそれは一部の人にすぎず、「『あまり知らない』『専門家ではない』という前提で、正論や思ったことをつづっている」だけの人が多いのです。

 どちらかといえば「3年A組」は、「これからSNSで暴言を吐かない」ための抑止的な狙いがあり、だからこそ柊一颯は繰り返し「Let’s think」(さあ考えてみよう。考えたうえで行動しよう)と言っていたのでしょう。

 やはり問題なのは、「まるで流行に乗るような感覚でニュースにふれ、SNSに書き込みながら最後まで見届けず、あっさりと忘れて別のものを追いかけてしまう」、拙速かつ思慮の浅さ。「誰かを助ける」ことも、「自分の学びになる」こともなく、「ただ参加しただけ」という虚しさが心の中に蓄積されていくだけであり、そこに生産性はありません。