閉会後こそ真価が問われる

 先のアンケートでは、「東京オリンピックに対する期待点」という質問項目もあったのだが、「レベルの高い競技の観戦」(26・3%)を抑え、「期待すること、楽しみは特にない」(38・9%)がトップに。再び、永濱さんが説明する。

「'64年の東京大会は、日本は新興国でした。ですが、今回は先進国として迎えます。前回のような右肩上がりの成長は期待しないほうが賢明です。そもそも、今の日本経済はデフレを20年以上、放置した結果、オリンピックのような特需に頼らざるをえないという特殊な状況です」

 特別な需要だから特需。例えるなら、年に1回あるかないかのボーナスをあてにして、家計をやりくりしているようなもの。

その特需ですら、開催してみないとどう転ぶかわからない。終了後、会場施設を有効利用するなど試算したとおりに運用できればオリンピックの効果はあったといえるかもしれない。開催期間の盛り上がりだけで判断してはいけません」(永濱さん)

 閉会後こそ真価が問われてくる。小笠原氏も強調する。

「無理がたたっているのは明白です。予算は膨張し、招致には贈収賄の疑惑が向けられる。猛暑に開催し、ボランティアとして強制的に学生を参加させる。そして、復興支援を後回しにしているにもかかわらず、無理やり復興と結びつける。

 マラソンコースの一部となった北海道大学は、補修工事費を負担することで、そこに割いた分の大学予算を減らさなければいけない。こういった無理の積み重ねは、大会後、私たちの生活に染み出してくる。そして、抑えていたアスリートたちの“ホンネ”も出てくるはずです。だからこそ、“その後”を注視しなければいけない」

 住民税が微増し、中心地の地価が上昇する……。そういった部分に、五輪開催の影響が及ぶなら、「オリンピック、感動をありがとう!」なんてことばかりは言っていられない。

1976年の冬季五輪は、もともとデンバー(米国)で開催される予定だったのですが、予算膨張と環境破壊を懸念した住民が反対運動を行い、住民投票で大会の返上が可決されました。湯水のように税金を使われ、無償でボランティアに参加させられる、などという丸投げ状態のオリンピックをするのであれば、せめて暮らしている人に開催の決定権を委ねてほしいもの」

 最後に、小笠原さんはこう提唱する。

オリンピックは、利権や政治の色が濃くなるあまり、スポーツの祭典の枠を超える巨大産業になってしまった。莫大な予算を必要とするため大都市でしか開催できず、かつてのように新興国の都市が立候補することはかないません。種目を減らし、参加者を減らす、といった縮小化を図らなければ、オリンピック自体の存続が難しくなるでしょう」

 背伸びをしないと開催できないオリンピック。それって一体、誰のためにやっているんだろうか?

(取材・文/我妻アヅ子)

※タイトルの一部に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。


【識者PROFILE】
永濱利廣さん ◎第一生命経済研究所調査部首席エコノミスト。景気循環学会理事、総務省消費統計研究会委員。跡見学園女子大学マネジメント学部非常勤講師を兼務

小笠原博毅さん ◎神戸大学大学院国際文化学研究科教授。ロンドン大学ゴールドスミス校社会学部博士課程修了。スポーツやメディアにおける人種差別を主な研究テーマに据え、近代思想や現代文化を論じている