モデル一本ではナンバーワンになれない

マリエ「でもとくにファッション面での気の使い方って、みんな気づかないじゃない? 少しの気使いで周りをハッピーにすることが出来るってタモリさんから学んだの。私はその、実は知られていないタモリさんの“こうだったんだよ、知ってた?”みたいなところをしっかりと伝えていきたいと思っています」

しげる「当時は、良くマリエとは、ご飯行ったり、お酒飲んだりしたよね~、美容院も一緒だったのがキッカケかな? そのころはモデルとしてファッション雑誌『ViVi』で活躍してたよね。あの頃の『モデル・マリエ』の写真を見ていると、1つ1つの作品としての拘りみたいな思いが伝わってきたけど『モデル』『タレント』としての住み分けとかは、どう考えていたんだろうか?」

マリエ「とにかくあの頃は、楽しくて人に囲まれてたけど、やっぱり“若い”っていうことで。多分、女性も男性もそうだけど、どっか自分のターニングポイントで色々人生を悩んだり、“このままでいいのかな”とか。で、“子ども産むのかな”、“結婚するのかな”“学校行くのかな”、とかいろいろ悩むと思うのね」

しげる「うんうん。そうだよね」

マリエ「あとは自分の自己表現の場所を常に探していた。私の時代は、『バラエティタレントにモデルがなる』っていうことは、タブーだったの」

しげる「絶対そうだったと思う」

マリエ「そう! で、『東京ガールズコレクション』に、初めて“バラエティーの人が来る”ってなったとき、もうみんなの目!」

しげる「あ、モデルさんの目?」

マリエ「そう。もう、“なんでテレビがこんなところにいるんだ” “あーあの子バラエティで自分を売ってるからさ”みたいな。バラエティ出てるからエセモデルだよね、みたいな感じに」

しげる「びっくり! マリエにも、そんなこと言われていた時代があったんだ!」

 

マリエあったのよ。今はもうバラエティで働くって当たり前になってるけど。でも私、バラエティに出演して“ここだ!”と思ったの。こんなにいっぱいモデルちゃんがいて、私にしかできないことは、テレビでも臆せず喋ることができたり、お笑いとかが好きだったり、ほかのモデルちゃんにはできないことが私にはあるんだ、って、そこで初めて気づいて。

 モデル一本ではナンバーワンになれないってわかったの。だから私、“5年間だけ、NOって言わない”って決めました。どんな仕事も、とにかくやる。自分の100%を尽くして。そして5年間思いきりバラエティで働いて、23歳でアメリカへ。私が渡米したのは、東日本大震災は偶然で、そういう理由があったんです