看病生活は「一喜一憂しないこと」

 源さんは看病のため、4年ほど前に自宅の静岡県熱海市から東伊豆にある病院の近くまで引っ越したという。

 普段はどんな生活を送っているのか。

「贅沢しなければ暮らせるギリギリの水準ですね……」

 今の生活を「世捨て人」と言う源さん。年金や過去の作品の著作権、たまに構成作家のアルバイトをするなどして月に20万円程度の収入を得ているが、1か月のアパートの家賃が3万5千円、佳那の入院費は12万円ほどだ。

源さんは生活に必要なものだけ置かれた簡素な部屋で暮らす
源さんは生活に必要なものだけ置かれた簡素な部屋で暮らす
【写真】大人っぽく妖艶な雰囲気を醸す、24歳の佳那晃子(1980年)

「毎日、ルーティン生活ですよ。朝7時に起きたらコーヒーをいれ、チョコレート4個と黒にんにくを2かけら食べる。10時くらいまでテレビのワイドショーなどを見て、お昼にパンを食べたら着替えを持って病院に行きます」

 自宅から病院までの距離は2キロほど。所有する自動車が壊れているため、徒歩で通院することもあるという。

「面会は1日1時間程度。手を握って刺激を与え、声をかけてあげます。短い時間ですが、大事なのは毎日、顔を出すことなんですよ」

 初めは声をかけても全く反応がなかったというが、気が滅入ることはなかったのか。

「自分は不運な人間だと思ったらどんどんそうなってしまう。だから淡々とやっていますよ。看病生活はマラソンより長い。日々の変化に期待しすぎると精神的にもたないので、一喜一憂しないことですね。1ミリずつでも回復しているのだから、少しでもよくなっているところを見つけたら、それを宝物にするんです」

 手の指をぴくぴくと動かすまで何年もかかったというのだから、気の遠くなるような話。かつて芸能界で生活を送った時代を思うと、まさに世捨て人だ。

毎日マッサージを続けたら、足が動くように

 地道な看病生活を続けながら、ひたすら妻の回復を待ち続けてきた源さん。あるとき、転機が訪れる。

「4年ほど前ですね。毎日マッサージを続けたら、足が動くようになったんです。そして1年半ほど前にはモゴモゴと口を動かせるようになり、だんだん意識も戻ってきました。昨年の12月には流動食も飲み込めるようになったんですよ!」

ゼリーなどの流動食は飲み込めるように(9月)
ゼリーなどの流動食は飲み込めるように(9月)

 うれしそうに笑いながら回復の経緯を教えてくれる。以前は声をかけても反応がなかったが、今では耳もしっかり聞こえていて、アイコンタクトで返事もしてくれるという。

 一気に回復か、と思った矢先に立ちはだかったのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。