競技終了のホーンで浜にあがると、海に向かって呆然と両膝をつき、やがて礼をするように深く頭を下げた――。

 五輪初採用となったサーフィン男子で日本代表として登場した五十嵐カノア。頂点にはわずかに届かず、銀メダルに終わった。

「本来であれば決勝は7月28日に行われるはずでしたが、台風の影響で急遽日程が1日前倒しに。海のコンディションも良好とはいえず、沖合で大きな波を待つカノア選手にチャンスらしいチャンスは来ませんでした。試合後のインタビューでは“金メダルを取れず悔しい”と語っていましたが、競技の最後に頭を下げた理由を聞かれると“海の神様にありがとうと思って”と、自然への敬意を忘れないコメントをしていたのが印象的でした」(スポーツ紙記者)

自国開催でのメダルはプライスレス

 '97年に米カリフォルニア州ハンティントンビーチで生まれた。カノアとはサーフィンの聖地ハワイの言葉で“自由”を意味する。

飾らない姿は地元でも評判

「3歳からサーフィンを始めると、12歳で全米タイトルを獲得。15歳のとき飛び級で高校を卒業し、18歳でアジア勢として初めてプロ最高峰のチャンピオンシップツアー(CT)に参戦しました」(スポーツライター)

 幼少期から世界中を飛び回っているため、日本語や英語のほかポルトガル語、スペイン語、フランス語も操るマルチリンガル。

CTの獲得賞金に加えてスポンサー契約も多く、年収は約5億円と言われています。少し前には、両親のために自宅を新築したという話も聞きました。日米両方の国籍を持っているのですが、今回は五輪開催地として、自分のほかにCT選手のいない日本代表を選んだ。まさに“ラストサムライ”です」(前出・スポーツ紙記者)

 彼が日本での活動拠点にしているのが、五輪会場にもなった千葉県一宮町の釣ヶ崎海岸サーフィンビーチ。カノアをよく知る日本サーフィン連盟千葉東支部長の鵜沢清永さんは、その素顔について“自然体で気取らない子”と評する。

トップ選手になっても“自転車貸して〜”と訪ねてきたり、シャワーをちょっと借りるだけでも“ありがとう”と言える。サーフタウンでは誰もが知るスター選手なので、地元のちびっ子サーファーらにサインや記念撮影を求められることがあるんですが、嫌な顔ひとつせず“いいよ”と応じていました

 好きな食べ物は魚よりも肉。特にとんかつが大好物だという。同町で人気のとんかつ店で、彼と居合わせたことのある地元サーファーは言う。

弟さんと一緒にお店イチ押しの『極上ロースかつ定食』を残さず食べていました。よっぽど好物なのか、食べるのも早かったですね。大会前などは必ず食べる“勝負メシ”らしく、僕もあやかってここぞというときに食べています。もっとも最近は体重のコントロールを気にしてか『上ヒレかつ定食』にしているみたいですけどね(笑)

一宮町の人気とんかつ店の「極上ロースかつ定食」。カノア選手の好物で味噌汁もつく

 五輪をきっかけに“サーフィンを人気のスポーツにしたい“と意気込むカノア。一宮町のサーフィン関係者は、その言葉にウソがないことを裏付けるエピソードを教えてくれた。

有名になったら一般人を相手にしなくなるアスリートもたくさんいますが、カノア選手は違う。あるとき海で会った少年サーファーに“早く俺のところまでのぼってこいよ”と、優しく声をかけたと聞きました。これって野球でいえば、大谷翔平選手が“メジャーリーグで待ってるぞ”と言ったようなもの。少年は興奮して、上から下までカノア選手と同じ格好をするようになったといいます

 少年をその気にさせる“魔法の言葉”だったようだ。五輪の健闘で、より多くの若きサーファーが“いつか僕も……”と夢見るようになったに違いない。