日本中を震撼させた「秋葉原通り魔事件」から早くも14年。当時、逮捕された加藤智大が母親から虐待ともとれるスパルタ教育を受けていたこと、派遣労働や格差問題、ネットを通じた人間関係の稀薄さが浮き彫りとなり、そんな加藤を“神格化”する声も挙がった。人を凶行にまで走らせる“生きづらさ”とはーー? これまで2000件以上の加害者家族を支援してきたNPO法人『World Open Heart』理事長・阿部恭子さんが伝える。

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 2008年6月8日、当時、25歳の加藤智大氏が秋葉原の交差点にトラックで侵入し、通行人をナイフで切りつけ、7人が死亡、10人が重軽傷を負う大惨事となった。

 本件は、日本の犯罪史上に残る大事件となり、派遣社員の急増といった社会背景から、加藤氏が非正規社員だった事実に焦点が当たり、「格差社会から生まれた犯罪」とも報じられていた。

 筆者は加害者家族支援を通して犯罪者と多々、面会を重ねているが、その多くは男性である。事件の背景を見ていくと、多かれ少なかれ、男性としての生きづらさが影響していると思われる。

優等生からの転落

 友幸(仮名・40代)は、加藤氏同様、東北で名門といわれる高校を卒業した犯罪者である。当時、拘置所の中で事件を知り、同世代の加藤氏の境遇に自らを重ねたという。

「地元では○○高校というと一目置かれますが、問題は卒業後です。大学受験に失敗し、地元にはいられなくなりました」

 友幸は二浪の末、地元から逃げるように上京し、フリーター生活を始める。

「地元ではみんなに“負け犬”と思われているような感覚がありました。東京では誰も地元の事情はわからないので、楽になったんです」

 ところが自由を満喫できたのも束の間、すぐに深い孤独に悩まされることになる。友幸は人とのコミュニケーションが得意ではなく、ひとり取り残されていく危機感を覚えるようになった。

 東京で初めて「仲間」に入れてもらえたと感じたのが、振り込め詐欺の集団だった。友幸にとって金銭は二の次で、仲間をクラスメートのように感じ、犯罪の現場が居場所になっていく。そして数か月後、友幸も逮捕されることになった。

「国選弁護人から実刑を覚悟するように言われてパニックになりました。捕まってもすぐ出られるって聞いていたんです。まさか刑務所に行くなんて」

 友幸は国選弁護人に、すぐ家族に連絡を取ってもらうよう懇願した。

「もう戻ることはないと言って出てきた実家ですが、もう強がる余裕はありませんでした」

 しばらくして、友幸のもとに弁護士が接見に来た。

「友くん、覚えてる?」

 見覚えのあるその顔は、幼いころよく遊んでもらった親戚だった。国選弁護人から逮捕の知らせが行くと、親たちはすぐ東京で弁護士をしている親戚に連絡していた。友幸は安心のあまり大泣きし、生まれて初めて胸の内を吐露することができた。

 この親戚が弁護を担当することになり、親戚中からお金を集めて被害者に弁償した。公判には両親、兄弟も含め親戚一同が傍聴席に詰めかけ友幸の減刑を願った。友幸は、恥ずかしくも感動し、涙を止めることができなかった。

 そして無事に、執行猶予付き判決を得ることができ、釈放後は実家に戻り、現在は親戚が経営する会社で働いている。

「当時はパワーゲーム(人と人との力の張り合い)に囚われていて、どうやったら敗者復活できるかばかり考えていた。地元にこんなに“支え”があり、“味方”がいることに気が付きませんでした」