クラフトバンドをママ友に教えるように

インタビュー時に持っていたバッグと名刺入れも、松田さん作。「完成したときの達成感が快感。夜は作品作りをしています」(写真/齋藤周造)
インタビュー時に持っていたバッグと名刺入れも、松田さん作。「完成したときの達成感が快感。夜は作品作りをしています」(写真/齋藤周造)
【写真】億女のご自慢の庭がまるで宮殿、松田さんが作ったカバンがかわいい

 作ったバッグや籠を周囲にプレゼントしていたら評判となり、ママ友から「私も作りたい」と言われるようになる。

「口コミで参加者が増えていき、公民館を借りて、教室を開くようになりました」

 しかし、当時はネットショップも少なく、材料のクラフトバンドが思うように手に入らない。近くのホームセンターには茶色い米袋用のひもしかなく、女性ならもっとかわいい色が欲しいのでは、と気づいた。

「きっと需要があるはず、と36歳のときにクラフトバンドのネットショップを作りました。今から19年前のことです」

 起業資金は、ヘソクリ7万円。義母が生活の足しにと、こっそりくれていた小遣いを充てた。

「無知だったので、仕入れ先の見当もつかない。全国のタウンページを取り寄せ、何百件も電話しましたね(笑)。3人目の乳児をおんぶし、静岡の製紙工場まで押しかけて交渉したこともありました」

 競合会社が少なかったこともあり、売り上げは右肩上がりだったが、思いもよらない壁にぶち当たった。

「私だけでは手が足りず、ママ友が何人か教室を手伝ってくれていたんです。そのうちの1人は生活に困っていたので、アルバイト代に少し色をつけていました。

 でも彼女は『見下された』と感じ、私の陰口を周りに言うだけでなく、彼女の娘が私の娘をいじめるようになって。私への妬みもあったのかもしれません」

 狭いコミュニティーの中での主婦同士のトラブル。本人に「主婦のくせに先生みたいなまねをして」と言われたことがすごく悲しかった。

「自分ができることをやってようやく自信を持てたのに『〇〇のくせに』と言われて傷つきました。『じゃあこの道を極めてみよう』と、株式会社化したのです」

「クラフトバンドエコロジー協会」を立ち上げ、講師の養成を始めると、さらに商品が売れた。

「最初は知らないことばかりでしたし、私は深く考えるのに向いていないので、悩んでもしょうがない。調べてわからないことは、すぐ商工会議所の受付の女性に何度も聞きに行きました」 

 最近ではコロナ禍の巣ごもり消費が追い風となり、年商7億円を突破。やり手社長として注目を集めている。

本社ビルにある実店舗にて。オリジナルカラーやデザインが豊富。教室や講座は全国各地で開催(写真/齋藤周造)
本社ビルにある実店舗にて。オリジナルカラーやデザインが豊富。教室や講座は全国各地で開催(写真/齋藤周造)