「清水ミチコ」のルーツとは―

5歳のとき、飛騨高山にある実家・清水商店の前で。さまざまな音楽に触れ始めていたころ
5歳のとき、飛騨高山にある実家・清水商店の前で。さまざまな音楽に触れ始めていたころ
【写真】「自分の声だと思った」本人も驚いた大竹しのぶのモノマネをする清水ミチコ

 清水の実家は岐阜県の飛騨高山。もともとは果物やご進物、お菓子を売る店だったが、店の横に倉庫があり、そこを父親が『if』という名のジャズ喫茶にしたという。

「高山で初めてできたジャズ喫茶だっ音楽たんです。父はすごくジャズが好きで、若いころウッドベースを弾いてたんですね。で、仲間とバンドをつくって、公民館などで演奏したりしてました。家族はその店の2階に住んでいましたね。ジャズが流れ、楽器があって、バンドの仲間がうちに集まっているのを子ども心に覚えていますね。それが、私の音楽に接する原体験でした」

 ピアノを始めたのは、小学校1年のときだった。ピアノ教室にも通ったのだが、

「私にはつまらなかった。歌謡曲やCMソングを弾くのは楽しいんだけど、決められた音楽を弾いていくのが面白くなくてやめちゃったんです」

 清水は、小学生のころから教室の隅っこで友達を集めて面白いことをしゃべるような子だったらしい。

「ずっと一緒だった友達によっちゃんという子がいて、私が狙いすぎたネタを言うと、急に笑わなくなる。だから、自然に思いついたことをしゃべったほうが面白いと身体で覚えたんですね。彼女のおかげで私の笑いは鍛えられたんです(笑)」

中学2年生のとき、クラスメートたちと旅行先で。人を笑わせることの楽しさを知った(写真中央が本人)
中学2年生のとき、クラスメートたちと旅行先で。人を笑わせることの楽しさを知った(写真中央が本人)

 中学生のある日、先輩の男子から「生徒会の副会長に立候補するから、応援演説をしてほしい」と持ちかけられた。

「張り切りましたねぇ。それで当時人気だったディスクジョッキーの手法をマネてスピーチしたらものすごくウケたんです。女子アナ風のきれいな話し方で汚いことをしゃべるというもので(笑)、“涙を流す私のこぼした鼻水が、今地面すれすれまで伸びています”とか(笑)。全校生徒が爆笑してくれた。自分だけ涼しい顔でみんなは大ウケ状態。こんな気持ちのいいことがあるんだって感激しましたね」

 高校に入ってからは、面白ノートなるものを作り、4コママンガを描いたり、先生のあだ名や特徴の一覧を書き込んだりしていたという。

「クラスの子をつかまえて、架空の芸能人に仕立て上げたりしてましたね。あなたは清純派の“花園リリィ”って名前ねとか(笑)。あなたは演歌歌手の“金華山鶴”とか(笑)。サインから歌まで作って遊んでました」

 そんな清水は、矢野顕子の音楽と電撃的に出会う。

「高校1年のときでした。ラジオで矢野顕子さんの音楽を初めて聴いたんです。デビュー間もない矢野さんのDJと弾き語りは、おしゃれでカッコよくて、それまで歌謡曲ばかり聴いていた私には、あまりにも衝撃的でしたね」

 清水と小・中・高が同級だったピアニストの和田典久さん(64)が言う。

「ミチコは、普通の子でしたよ。特に目立つ子ではなかったけど、仲良しのグループがあり、いつも芸能ネタなんかでゲラゲラ笑っていた感じでした。すごく耳がよくてピアノも上手だったから、僕もピアノをやっていたので、連弾したこともありますよ。子どもらしくない曲、ジャズの『テイク・ファイヴ』なんかを弾いていたのが印象的でしたね」