
17日、俳優の遠野なぎこさんが亡くなったことが親族を通じて発表された。死因は「現在、警察の見解によりますと、事故によるものであり、自死ではございません」とし、葬儀は近親者で執り行う予定だという。
これまで頻繁に更新してきたSNSが途絶え約2週間、心配の声が上がる中での訃報にファンをはじめ業界関係者の驚きが隠せない。最後のSNSは6月27日のインスタグラムで鶏肉をフライパンで調理する動画だった。
前日の同26日には「私、うつ病なんだって 知らなかった」と告白。これまで摂食障害に苦しんできたが、同じ病気を患う人たちの励みになればと包み隠さず語ってきた遠野さん。かつて週刊女性の独占インタビューでも、摂食障害発症当時のこと、「それでも私は強く生きていく」と力強く語ってくれた。
彼女が病と向き合い続けた日々を振り返る。
「吐いたら太らない」告げた母も摂食障害
「普通の人みたいに3食きちんと食べるとか、そういう生活はできたことがないですね。この食べ物への恐怖心というのは一生治らないんじゃないかなって思います。頭ではわかっているんだけど、やっぱり痩せている自分に固執してしまう部分もあるし」
遠野さんが摂食障害を発症したのは15歳のとき。子役として幼いころから芸能界で活躍し、大河ドラマ『八代将軍吉宗』や人気ドラマ『未成年』など話題作に出演してきた。
しかし思春期で身体が丸みを帯び始めると、母親から「吐いたら太らない」とすすめられ、過食嘔吐をするようになる。当時は摂食障害という言葉自体まだ浸透していなかったころのことだ。
「まだ子どもだったし、母の教えですから、そんなに悪いことだとは思わなかった。摂食障害という言葉も知りませんでした。ただこれできれいになれる、これで太らないで済むんだという気持ちだった。でも実は、母も摂食障害だったんです。それを知るのはずっと後になってからでしたが」
母の言葉から、過食嘔吐をするように。そして間もなく拒食症になっていった。同時に自傷癖もあらわれ、仕事もままならなくなっていく。撮影当日にオーバードーズ(薬の過剰摂取)をした日もあった。精神科に連れて行かれ、そこで「3年間の休養が必要」とドクターストップを命じられた。
休養が明けるころ、オーディションの話が舞い込んだ。再起をかけて挑戦し、見事合格。NHK連続テレビ小説『すずらん』の主演に抜擢され、芸能活動を再開する。
以降、バラエティーにも進出し、歯に衣着せぬ発言でタレントとしても人気を博す。その順調な芸能活動の陰で、過食嘔吐と拒食状態をひそかに繰り返してきた。
「自分の意志ではどうにもできないのがこの病気の難しさ。朝起きて、パチンとスイッチが勝手に切り替わってしまうんです。過食になると、コンビニの食べ物をお腹がパンパンになるまで食べてはもどしたり。多いときで一日5回吐いたこともありました。もうまともな状態ではないですよね」