9月9日、元プロ野球選手で引退後は野球評論家として活躍した張本勲さんが亡くなった。
「午後3時20分ごろに119番通報があり、東京都大田区の路上に止められていた車の運転席で、張本さんは意識のない状態で見つかりました。その後、搬送先の病院で死亡が確認されたそうです。7月27日に東京ドームで行われた『サントリードリームマッチ2026』に参加。8月2日にはTBS系の『サンデーモーニング』に生出演していました」(スポーツ紙記者、以下同)
“御意見番”を務めた『サンデーモーニング』での歯に衣着せぬ発言や「喝」と「あっぱれ」の名文句でお茶の間の人気者に。野球ファン以外からも親しまれたが、現役時代の成績も華々しいものだった。
「1959年に日本ハムファイターズの前身球団にあたる東映フライヤーズに入団し、新人王を獲得。“安打製造機”の異名を取り、NPB最多となる通算3085安打を記録しました。1975年のオフに巨人にトレードで移籍。その際に監督である長嶋茂雄さんから“王がひとりで背負っているから俺の代わりにやってくれ”と声をかけられ、感激したようです。1976年には王貞治さんとの“OH砲”で長嶋監督に初優勝をもたらしました」
球史に名を残すレジェンドとなったが、決して順風満帆な人生ではなかった。
「4歳のときに利き手だった右手に大やけどを負い、一部の指がくっついて力の入らない状態でした。広島で生まれ育ち、5歳のときに被爆。6歳上の姉を亡くしました。当時は“放射能がうつる”といった誤った偏見が広まり、被爆者であることを隠しながら生きてきたそうです」(スポーツライター、以下同)
「野球がなかったら…」
両親が韓国出身の在日韓国人。晩年に日本国籍を取得したが、当時は在日韓国人への風当たりが強い時代だった。
「子どものころから心無い言葉を浴びせられてたそうです。体格に恵まれていた張本さんは、ケンカに明け暮れて虐げられた恨みを晴らすように。中学生のころから大人相手にケンカをするなど、かなり荒れていたようです」
そんな張本さんを正しい道へと導いたのが野球だった。
「甲子園を目指して広島の強豪校に進学を希望しましたが、中学時代の素行不良を理由に断られることに。定時制の高校に入学後、大阪の浪商高校に編入。野球に打ち込むようになり、ケンカを売られても相手にしなかったそうです。生前に“野球がなかったら間違った道に進んでいたかもしれない”と話していました」
不屈の精神力で逆境を乗り越えた人生は、まさに“大あっぱれ!”。























