親からの期待やプレッシャーは、《まじめに勉強に打ち込んだが、思うような成績をあげられ》なかったなどと指摘した。優美子さんはこう話す。

「恭平が部活を辞めたいと言ったとき、父親が“部活を続けていると就職に有利”という話はしましたが、一般的な話で強制はしていません」

 報告書を読んだ優美子さんは感じたことがある。

「恭平がなぜ野球をやめたくなったのかを調べてほしかったのですが、ダメでした」

 同年5月、東海地方で『学校事故事件遺族連絡会』を設立。優美子さんは呼びかけ人のひとりとなった。ほかの遺族との情報交換のためだ。

 優美子さんは、「体罰を目撃したことでうつ状態になった」点に注目していた。聞き取りが不十分で、事実認定に限界があり、ほかの手段を考えた。現在、愛知県弁護士会に人権救済申し立て中だ。

「やれることはやっておきたいんです」

 スポーツ振興センターに死亡見舞金の申請もした。高校生の自殺は「故意による死亡」とされることが多く、恭平くんの場合も見舞金は認められなかった。

 しかし部員たちの聞き取りを加えて不服審査請求をした。結果、3月15日付で「学校の管理下において発生した事件に起因する死亡」と認められた。

 県教委は取材に対し、「内容を把握しておらず、コメントできない」と回答。県知事政策局は「若者の自殺が多い中、高校生の自殺についても紋切り型の判断ではなく、きちんと検証された結果」とした。

「恭平の死が個人の心の問題ではなく、追い詰められた末の死と認めてもらえたと思います」(優美子さん)

 今日も「ただいま恭平」と仏壇に声をかけた。

取材・文/渋井哲也