福島県のある原告の言葉が忘れられない

 事故から数年を経て、再び地元で暮らす避難者もいる。尾川亜子さん(30代=仮名)は3年にわたる関東への自主避難から’14年4月、いわき市の自宅に戻った。

「避難から戻る人、これから赤ちゃんを産む人のためにも、できるだけいい環境にしたい」(尾川さん)

 被ばくの低減を目指す母親たちの会に所属。2人目の子どもを望んでいる。

「娘との日常が楽しいし、2人目も欲しい。そんな思いを大切に暮らしているけれど、ふとしたときに廃炉作業中の原発、放射能汚染、防災対策がずさんであることが頭をよぎるんです」

 尾川さんは津波被害にも遭っている。わが子がいずれ通うことになる中学が津波に襲われた場所にあることから、変更できるのか役場に聞いたところ、

「“通っているお子さんがいますから”と取り合ってもらえなかった」

 “通っているお子さん”のことも心配しているのに──。いちばん言ってほしくない言葉だった。

「幸い、その中学に亡くなった生徒はいないけど、命の危険を感じたという話も聞いている。次の地震が1時間後か、明日か、わからない。津波も原発事故も、被害を受けてからでは遅いんです」

 尾川さんは、「現状をよりよくしたい」と願う。

「ほかの原発が爆発したとき、被害を受けた私たちの“今”がマニュアル化されて、これ以上の改善は望めないという教科書にされるのが嫌だから」

 まもなく結審を迎える生業裁判の弁護団事務局長・馬奈木厳太郎弁護士は、福島県のある原告の言葉が忘れられないという。

「次の事故はあってほしくないけど、もしあるなら、福島がいいのかもしれない。みな、どれほど大変かを知っているから少しはうまく対処できる、と──。そんなことを、福島の人に絶対に言わせてはいけない」

 そう語気を強める。

「原発事故は他人事ではない。原告にも、事故前から危ないと言っていた人がいたのに、被害が出なくては原発の危険性を認識できなかったと悔恨の思いがある。それは私も同じです」

 事故に法的責任があるのは国と東電。だが、「汚染された地域を次世代に引き継がせざるをえなくなったことは、大人の誰もが責任がある」と馬奈木弁護士。

「裁判は被害者が被害者で終わらないための人間の闘い・教訓化です。権力側は被害者を分断させたがる。今度は賠償の国民負担という話で、被害者と国民の間に分断を持ち込もうとしている。そうさせないためにも、日本全体の問題として考えなくてはならない

 地震が多発し、54基もの原発を抱える日本で、事故が2度と起きない保証はどこにもない。当事者として裁判を注視したい。

<取材・文/吉田千亜>
フリーライター、編集者。東日本大震災後、福島第一原発事故による放射能汚染と向き合う母親たちや、原発避難者への取材を精力的に続けている。近著に『ルポ 母子避難』(岩波書店)