道徳でいじめは防げるのか?

 そもそも道徳が教科化されたのは、’11年の大津市中2いじめ自殺事件がきっかけだ。

 それまで「道徳は教科になじまない」(第一次安倍政権の中央教育審議会)とされてきたが、安倍首相直属の諮問機関『教育再生実行会議』は’13年2月、いじめをなくすために道徳教科化が必要だと提言。これを受けて下村博文文科相(当時)は『道徳の充実に関する懇談会』を設置。その報告をもとに文科省の中央教育審議会に提出し、翌年10月には『特別の教科 道徳』が作られた。

 俵さんが言う。

「自殺した生徒が通っていた中学は、文科相が指定する道徳教育のモデル校。道徳がいじめを防ぐという科学的根拠がなく、事件を利用したにすぎない」

 道徳が教科化すれば、子どもたちの「愛国心」「道徳心」は評価され、採点されるようになる。

「戦前、戦中に、道徳にあたるのが『修身』でした。教育勅語も修身の教科書に登場します。修身は、全教科の上に立つ筆頭教科。すべての教科を統制する役割でした。『特別の教科 道徳』も同じです」

 そんな俵さんの言葉を裏付けるかのように、学校現場で、他授業・他教科の道徳化というべき事態が起きている。

 シンポジウムに参加していた石川県の現役教員が打ち明ける。

靴箱から靴が少しでもはみ出していたら、付箋を貼って、生徒に直させる。礼儀を教える一環で、これを学校を挙げた『学校スタンダード』という活動で行うわけです。教員もクラス別に競わされ、ガチガチに縛り付けられている。道徳が教科になれば、この現状が追認されてしまいます」

 この傾向は教科書でも顕著だ。教育委員会に売り込むため、教科書会社は、どんな学習目標がどの徳目に該当するのか、細かく記した一覧表を作っている。

「例えば、算数。三角形の和を求める内容に“美しいものへの感動”としていたり、九九を教えるところでは“伝統と文化の尊重”と書いてあったりします」(俵さん、以下同)

ブラック企業に耐えられる教育が理想!?

 教科化された道徳、教育勅語、新学習指導要領が連動しつつ進められる安倍政権の「教育再生」政策。その先には、憲法改正を見据えた首相のこんな狙いがある。

「改憲を先取りして、日本の形を作り変えることが狙い。といっても、単純な戦前回帰とは違います。安倍首相が目指す教育再生の形は、ひと言でいえば“国や大企業に役立つ人材であれ”ということ」

 教育勅語に代表される戦前・戦中教育の復活という意味で、システムとしては復古的だが、「中身は規制緩和と自由競争を重んじる新自由主義の改革」になると俵さん。

「国に役立つとは“戦争する国”の人材のこと。大企業に役立つというのは、グローバル社会の国際競争に勝ち抜くための人材です。これには少数のエリートのほかに、“ブラック企業でも従順に従う大多数”という意味が含まれています」

 その要素は新学習指導要領にも反映ずみ。子どもたちの指導にあたって、企業が生産性を高めるための『PDCAサイクル』という方法が導入されている。

「企業が均質な商品を作り上げて品質管理を進めることを目的にした、ビジネスの方法。子どもたちを工業製品のようにモノ化して、鋳型(いがた)にはめてやろうする発想です」

 いじめ、貧困、奨学金と子どもの教育をめぐる課題は山積み。解決に急ぐべきは、教育勅語でも、道徳の押し付けでもないはずだ。