虐待は世代連鎖する

 子どもを保護したあとは、子どもの心理的なケアをし、保護者とも話し合いを続け、子どもを親元へ返せるかどうか慎重に検討していく。どうしても親が育てるのが不適切と判断された場合は、里親への委託や児童福祉施設入所などの対応も必要となる。

「児相の統計によれば、“虐待されている”と子ども本人が通報してくるのは約1パーセント。96パーセントは近所や先生など周りの人からです。言い換えれば、周りが気づいて連絡してくれなければ、虐待はエスカレートします。

 中学生くらいになると、家出や非行、自殺などの行動を起こすこともあり、事態は複雑かつ深刻になります。

 親はよく、“自分はもっとひどい暴力を親にふるわれたけれど、今ではこうしてきちんと仕事をしている”と言ったりしますが、よくないと思っていても実際、自分が叩かれて育つと、暴力を介さずに子どもと接する方法がわからないんです」(川崎さん)

 虐待は世代連鎖する可能性も高いのだという。

 田中由香里さん(仮名=45)にとって、物心ついたときから母親は怖い存在だった。些細なことでもヒステリックに怒鳴りちらし、殴られたり物を投げられたりするのは日常茶飯事だった。

 ちょっと部屋を片づけなかっただけで、夜中に叩き起こされて片づけさせられたこともある。彼女が中学1年生のとき、親は離婚。その後は母の実家で祖父母と暮らしたが、母の暴力と暴言は続いた。

「“そんなこともできないのか、この役立たず。父親と同じだ”と人格否定がすごかった。お小遣いももらえなかったし、いつも否定され、拒絶されている感じでした」(田中さん)

 あとで知ったことだが、母は自分の母に愛されていなかった。結婚した夫は一流企業に勤めていたものの人間関係でつまずいて退職。それからは酒を飲んでは暴れた。そのストレスが娘に向かったのかもしれない。

 そして由香里さんは、母に虐待されると、7歳年下の弟をいじめた。心のゆがみや虐待は弱いほうへとしわ寄せが来る。10代のころはいつか母を殺してやろうと思っていたそうだ。

刺殺より、素手でぼこぼこにして苦しむところを見たいと思っていた。ただ、自分の手を汚したら負けだという気持ちが殺意を上回った。私、空手を習っていたんですが、その先生がとてもいい人で、ときどき自宅でごはんを食べさせてくれたんです。親のことは話せなかったけど、今思えば救われていたんですね」(田中さん)

 彼女は26歳で結婚し、そこからカウンセリングを受けるようになった。そして虐待や内省、心理学などを勉強。母親にもさまざまな講座の受講をすすめた。10年かかってようやく母も気づき、彼女に謝ってくれたが、由香里さんの心がすっきり晴れたわけではない。それでも、なんとか母との関係は修復しつつある。

 このように親との関係を再構築できる人もまれにいるが、虐待された子の多くは親を見限ることができずに苦しむ。