大学でも起きた気づきの「奇跡」

 入試から3年、萩本の大学生活はどうなのか。

「僕が入学した翌年から、受験者数がすごく増えちゃって、仏教学部の倍率も高くなったみたい。だから今の1年生は優秀ですよ。大学側も“受験生を増やすために10年頑張ってきたけど、あまり効果はなかった。それが欽ちゃんが入学してからテレビや雑誌で紹介されてすごい効果があった”と言ってますよ」

 萩本は仏教学部で何を学んだのか。

「勉強してわかったことは、仏教では“勉強しろ”とは言わないんだね。“修行しなさい”とか“自分で悟りなさい”と言う。つまり、教えてもらうのではなく、自分で覚えて気づきなさい、ということ。これは学校でも会社でもいえること。勉強や仕事を教えてもらうのではなく、何をすればいいのか、自分で気づくことが大切なんだと。いまさらながら『修行』っていい言葉だなぁと思ったね。昔、コメディアンの修業してたとき先輩に“どうやったらうまくなれますか?”って聞くと“10年やってればわかるよ”なんて言われて、なんで具体的に教えてくれないんだろうとむくれたんだけど、今ならわかる」

 大学では親しくなった同級生も多い。その中のひとりの親から萩本は礼を言われたという。

「萩本さんのおかげで息子が変わったんです。以前は大学行くのも嫌だと言ってたのに、萩本さんに出会ってから突然、勉強するようになりました。実家のお寺も継ぐ気はないと言ってたのですが、今では“俺、坊さんになるよ”と言ってくれていますよ」

 萩本は「俺、何も言ってないけどな」と言うのだが、自分の祖父ほどの年齢の萩本が懸命に学ぼうとする姿を見た若者は、きっと何かを悟ったに違いない。

 萩本が出席する授業は、どこも学生たちでいっぱいになるらしい。教壇に立つ先生たちも萩本を「欽ちゃん」と呼び、やりとりを楽しんでいるという。

「授業中に僕が先生に試験に出る範囲を教えてくれるように甘えたり、いろんな駆け引きをしてみたりね。大学では、先生は僕のいい相棒をやってくれる。大学の珍道中も面白いよ」

 萩本の存在は、大学の構内でも不思議な化学反応を生み出し、いくつかの「奇跡」を起こしていたのだ。

「こないだ、同級生たちと飯食いに行こうというんで、僕初めてバスに乗ったの。そしたら、座席に座っていた学生が僕を見て全員、立ち上がった(笑)。“おーい、俺はひとりしかいないんだから”って」

勉強でも仕事でも「教えてもらうのではなく、自分で悟り、気づくことが大事」ということを学生生活を通して再認識した
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 萩本は、自分の死後の計画も立てていると言う。

「僕の葬式の挨拶の順番も考えてる。2番目の挨拶は勝俣州和。元気がよくてひどいこと言うからね。で、小堺と関根は、達者だから挨拶させない(笑)。1番目? それは斉藤清六と思っているんだけど、彼は意固地だから嫌がってるんだよね」

 さらに、お墓を建てる予定まであるらしい。

「大学で仲よくなったやつのお寺が群馬にあるのね。そこに、『欽ちゃんの歴史記念館』とお墓を建てさせてもらうつもり。お墓にはお骨じゃなくて歴史を埋めたい。ファンの人もそこに入れるようにして、名前が刻めるようにしてね。お墓に手を合わせるんじゃなくて、“欽ちゃん、来たよー!”って手を振るようなお墓、ね、いいでしょ」

 まったくこの人は、どこまでも現役なのだ。

 土屋氏の言葉が印象深い。

「欽ちゃんという人は、とにかく終わらない人なのです。しゃべりだしたら止まらないように、人生もそう」

 実際、今回のインタビューも記録的な長さに及んだ。

 萩本欽一──まさに「饒舌な人生」なのであった。

取材・文/小泉カツミ 撮影/伊藤和幸

こいずみかつみ ノンフィクションライター。医療、芸能、心理学、林業、スマートコミュニティーなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』(文藝春秋)がある。