2015年7月、トークショーでマイクを握る森且行

 5月1日のYahoo!ニューストップに『競艇競輪PR 森且行なぜ人気』というタイトルの記事が掲載された。配信元はデイリー新潮で、オートレース選手としての実績と芸能人時代からの知名度を生かし、森が今や競艇や競輪なども含めた公営ギャンブルの広報大使として、各地で引っ張りだこになっているという内容である。

 2014年の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系)、そして2017年には『72時間ホンネテレビ』(AbemaTV)で、かつて所属していたSMAPのメンバーと再会を果たした頃から、森の存在はファン以外の間でも再びSMAPの一員として認識されつつある。

 実際に前出の”広報大使”も、多くの人が目撃した旧友との再会が強い後押しになっている部分は確実にあるだろう。

 しかし、1996年のグループ脱退から22年経った今、各地のトークイベントで精力的に活動する40代の森且行と、実際にかつてSMAPとして活躍していた20代の頃の森且行には、実は大きな違いがあるのだ。

「トーク・コンプレックス」に悩んでいた20代の森且行

 SMAP時代の森且行は、とにかくトークが苦手なアイドルであった。実直すぎる性格ゆえにその場その場のアドリブがきかず、どうしてもいつも流れに乗りきれないまま終わってしまう。実際にSMAP在籍時の1994年、森は雑誌インタビューでその事を自身の「コンプレックス」と表現していた。

「記者会見とか舞台挨拶とか、仕事とはいえちょっとプライベートな面を出さなくちゃいけないようなのもまったくダメ。人前に出ると頭にワーッと血が上って、自分が何をしているのかわからなくなっちゃう」(マガジンハウス『an・an』94年5月6日・13日号)

 一般の若者であればそんなに気にしなくていいよと声をかけたくなるような悩みでも、20代になりたての当時の彼は、テレビの第一線で活躍しなければならないプロのアイドルである。

 そして若いアイドルグループがさらなる飛躍を遂げるためには個々の自立が不可欠であり、SMAPのリーダーである中居正広はおそらくそれを見越して、メンバーの森にあえて厳しいことばも投げかけていた。

「森は、今ひとりでラジオやってるでしょ。その成果を、そろそろ出して欲しい」「森は逆に、もっとでしゃばったほうがいいよ。”ここは俺にまかせろ、何とかする”ってキャラクター、身につけて欲しい」(集英社『Myojo』95年10月号)