選手と意気投合し、お祭りのような雰囲気に

 こんな涙ぐましい“おもてなし”の努力をカメルーン一行はつゆ知らず、5日間の遅刻。福岡空港に到着したのは、23時過ぎ。本来、同空港は22時を過ぎると離発着できないのだが、小さな村の奮闘に水を差すまいと特別許可を出し、飛行機はなんとか着陸。中津江村に到着したころには、なんと午前3時を回っていた。

「選手たちはスケジュールが押しているのに、高校生との交流試合や壮行会など、用意していた村民との触れ合いに快く参加してくれました。彼らも坂本と意気投合し、お祭りのような雰囲気でした。W杯前とは思えないくらい陽気で、緊張していた私たちをリラックスさせてくれたくらい」

スポーツセンター内に今も設置されている、当時のカメルーン代表選手の写真ボード。来訪者が一緒に撮影できるように、真ん中のビル・チャト選手の顔が抜かれている。本人もこのボードを見て“自分の顔がない!”と驚いたそう。でも笑顔で自ら顔を出して写真撮影したとか
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 平成14年の新語・流行語大賞年間大賞に『W杯(中津江村)』が選ばれるなど、中津江村の挑戦は、一村の枠をはるかに超える熱気を作り出した。

 その後、坂本村長には、カメルーン政府から“カメルーンと日本の友好関係に貢献した”として『シュバリエ勲章』が贈られるなど、同国との交流は今も続いている。しかし17年の年月で、中津江村の状況は当時とは変わってきているという。

「日韓ワールドカップのとき、村の人口は約1500人でした。でも今は約800人。村には小学校と中学校までしかなく、子どもが高校に進学するタイミングで村から出ていってしまうんです」

 それでも、夏のキャンプシーズンになるとサッカーはもちろん、ラグビーなどの野外スポーツやバスケット、バレーボールなどのスポーツ合宿でにぎわう。また、カメルーンの名を掲げた『カメルーンカップ』というジュニアサッカー大会も開催。熊本や佐賀、大分といった地区からも参戦するチームがあり、盛り上がっているという。

「平成の大合併の際に、お隣の前津江村、上津江村は“村”の名称がなくなりました。私たちも村ではなくなったのですが、W杯で覚えてもらった名前だからと『中津江村』の名称は残ったのだと思います。今でもたくさんの方に覚えていただいているのは、あのときがあったから。東京オリンピック・パラリンピックではカメルーンの選手団を招きたいですね

 まるでおとぎ話のような中津江村の招致物語。この“おもてなしスピリッツ”は、外国人観光客が増え続ける今の日本に必要なことが詰まっている。