レギュラー番組が週に5本、まさに人気絶頂期のさなか、逸見さんは緊急会見を行う。

「私が今、侵されている病気の名前、病名はがんです」

 近年は、小林麻央さん(享年34)が乳がんの闘病記をブログでつづり、競泳の池江璃花子選手(18)は白血病を告白、歌手の堀ちえみ(52)は、舌がんのステージ4であることを公表するなど、自ら発信していくことが多い。

 しかし、当時の逸見さんのがん告白会見は非常に珍しかった。なぜなら今ほど医療が進んでおらず、がんという病気は“死”を意味する強烈なインパクトを与えるため、医師が本人に告知すら行わない時代でもあったからだ。

 この年の1月に自覚症状があり、紹介された病院で「初期の胃がん」と告げられ手術をしたが、実際にはすでに、がんは腹膜にまで転移していたという。しかし、その事実は家族にだけ明かされ、本人には告知されなかった。初期の胃がんだと信じて退院した逸見さんは、仕事復帰した当初、病名を十二指腸潰瘍と偽って公表していた。

 夏には手術跡にできたケロイド状の突起を切除する。がんはすでに腹腔全体に広がっており、手がつけられない状態になっていたが、この時も本人には伝えられなかった。その1か月後、逸見さんは別の病院で、がんが再発し末期的な状況まで進行していることを知らされ、がく然としたという。

 緊急会見後に全ての仕事を休止して入院。13時間にも及ぶ大手術を受けるも、結果的に根治することはできず、約3か月後の12月25日に48歳という若さで他界した。最期の言葉は朦朧(もうろう)とする意識の中で息子の太郎に言った「三番が正解です」だったといわれている。

逝去後も続いた苦しみ

 逸見さんが亡くなった後、「スキルス性胃がんは特殊な進行がんであり、末期の状態で、なぜ大手術を受けたのか」「別の治療を選んだほうが余命はのびたのではないか」など、多くの疑問の声が出た。一方で、「腸閉塞を防ぐため、中・長期的な生存のために手術は必要だった」という見方もあり、賛否両論が巻き起こったが、残された家族にとっては、死後も治療に関する報道が続き、つらい時間を過ごすこととなった。