母の心配、息子の不安

 当時、ヤヱさんと同居していた輝行さんがこう思い出す。

「“なんでこんなことになってしもうたんやろ?”そんな心配の仕方でした。“私の教育が間違っていたのか?”そう自分を責めていましたね」

 ヤヱさんが振り返る。

「そのころはLGBTのことが今ほど新聞に載ることもなかったし、私も同性愛はハレンチなことと思っていました。だからそんなにすんなりとは、受け入れられませんでした」

 心を許し、実の姉や兄嫁と並んで相談したひとりが、高校時代からの親友の松田桂子さん(75)だった。

新聞を隅々まで読むことが日課の松田さんはLGBTのニュースをヤヱさんに教えることもあった 撮影/齋藤周造

「“ちょっと聞いてほしいことがあるの……”そう言って電話がかかってきました。“法事のあとに、和行がこんなことを言ったんやけど、どうしよう?”そんな感じの相談やったね」

 ヤヱさんには衝撃的だった告白も、実は松田さんには意外でなかった。

 和行さんが中高校生のころだろうか、松田さんがヤヱさんに電話をすると、ときには不在のこともある。その年ごろの男の子といえば、“母は留守です”程度の応対で電話を切ってしまいがちだ。

「ところが和くんは、“母は今どこそこに出かけていて”と言ったあと、ちゃんと話し相手になってくれるんです。やさしいし、話しやすいの。学校に行っているときも女の子のお友達が多いと聞いていたから、“もしかして?”という感じはあった。だから私はそれほど驚かずに、“ああ、そうなんかな”と受け止めることができましたね」

 そしてこう答えたという。

「“そういうことで心配せんでいいよ”そう言ったように思います。私は人が人を好きになるって、異性とか異性でないとかはあまり関係ないと思っていたから」

 息子の性的指向を受け入れられるとは、考えもしなかった。だがほんのちょっとだけ、ヤヱさんの気持ちが楽になった。

 平和だった家庭に、“同性愛者”という嵐を持ち込むこととなった和行さん。

1978年、家族写真。弁護士だった父・輝忠さんに和行さんはどこか憧れの気持ちがあったという

 そんな和行さんがゲイであることを自覚したのは、小学2年生のときだった。自分自身も相当な葛藤があったという。

「自分は病気ではないかとか、自分は“欠陥商品”なんだろうかとか思ったり。男の人にときめいたりすることをマイナスにばかり考えていました。ゲイの友達ができ、性的な体験をしてからも、“自分は社会の真ん中を歩けない人間なんだ”というような気持ちでもありました」

 兄の輝行さんがこんなエピソードを披露する。

「昔いっとき、大学時代に彼女ができたと家に連れてきたことがあったんです。今考えると世間に合わせていけるよう、努力してたんやなあ、と」