戦前の道徳教育である教育勅語を基にした「修身科」は戦後廃止されたが、'58年の学習指導要領改訂により道徳教育は復活した。ただ、この道徳教育は教科書を定めず、成績評価も行わないで、現場裁量が認められてきたものだった。

 しかし、'15年の学習指導要領の一部改正で実現した道徳の教科化は、検定教科書を用いて個人内評価することが定められた。

「そもそも道徳は数字で評価ができません。そのため、個々の時間の経過に応じた道徳面での成長度を記述する。それが個人内評価です。しかし、40人近いクラス全員に評価を記述することは、先生の実務的にも教育の意味としてもナンセンスです」

不登校を助長させている恐れ

 こうした教育への政治介入と、それに伴う教師の多忙・疲弊が実は、不登校児の増加の一因ではないかというのが前川氏の見立てだ。実際、文科省の調査では、'01年度以降増減を繰り返しながらも減少傾向だった小中学校の不登校児は、'11年度以降一貫して増加し、'17年度には初の14万人を突破した。

「実は私も小学生時代に奈良から東京に転校し、東京のスピードになじめなかったため一時、不登校になりました。その経験を踏まえると、不登校の多くは学校に息苦しさを感じることが原因です」

 教育への政治介入はこの息苦しさをどのように強めてしまうのか。

「文科省は'90年代に子どもの自主性を重んじるため校則を見直すよう通達を出しましたが、改正教育基本法では第6条2項が新設され“教育を受ける者が学校生活を営むうえで必要な規律を重んずる”という文言が加えられました。この文言は“ブラック校則”の根拠になります。その結果、学校の息苦しさは増してきたと思われます

 このような中で、家庭での教育のあり方も子どもに与える影響は大きい。家庭教育はどうあるべきなのか?

何かへの誘導・強制は支配される人間しか生み出しません。子どもが自ら考えるようになるために、まず親自身が自由に考える姿勢を見せることが重要です。

 私は面従腹背を強いられる窮屈な職場環境にいましたが、自宅では息子2人の前で組織の論理とは別の自由な考えを語っていました。その影響もあってか息子たちは自由な考えを持っていると評価しています」

 そんな前川氏は軍歌レコードにあふれた子ども時代を送り、日露戦争の英雄と称され、明治天皇崩御時に自決した陸軍大将・乃木希典を信奉していた過去を持つ。

 しかし、さまざまな人や本に出会う中でその考えも変わっていった。

もし親にできることがあるとするならば、さまざまな人との出会いを意図的に作ることかもしれません。人は出会いにより考えも変化し、より洗練されていくものです。そしてそのためにも親も子も“自分はこうだから”と決めつけないことです。

 最近は子どもの経済的な貧困を救うことを発端に、幅広い子どもが低価格で食事を楽しめる『こども食堂』があちこちで活動しています。こうしたところに参加してみるのもひとつの方法です。というのも、経済的貧困はなくとも人間関係の貧困さを抱える子どもは、少なからずいるはずですから」

(取材・文/村上和巳)