彼のことを子どものころから知る、元スポーツ紙文化部長の小西良太郎さん(83)は、のちに当時の彼の気持ちの一端を聞いたことがあるという。

「そのころは車に逃げ場を求めていたらしいですね。けっこう無茶な運転をして死にかけたこともあるけど、死んでもいいと思っていたって。10代で4人の身内に死なれて、美空ひばりという大きな呪縛を背負った18歳。そう考えると痛々しくてたまらないよ」

「美空ひばりの息子」という覚悟

 22歳のとき、彼は運命の再会を果たす。先輩に連れられていったクラブで、玉川学園時代の後輩で、俳優・浜田光夫氏の娘である有香さんと会ったのだ。彼女は母が始めたラウンジを立て直すため、クラブに変えて経営をしていた。大学との二足のわらじだった。

「私を見るなり“あんた、こんなところで何してるの”って。“こんなところって失礼じゃないですか”というのが再会して最初の会話でした(笑)」

 加藤はその後、店に来るようになり、3度目に結婚しようと言った。有香さんは冗談だと思ったが、彼は本気だった。とがった一匹狼だった学生時代の加藤が、そのときは生きてることに疲れているように見えた。

「不良のように言われていたけど、学内で傷ついた小鳥を見つけて先生に“助けてやって”ともっていく優しさをもっていた。その優しさは変わっていませんでした」

 有香さんの両親も大賛成。2年後には一緒に住むようになり、正式に結婚した。

「うちはごく普通の家なんですよ。食卓があってテレビがあって、家族みんなでごはんを食べて。彼が私の実家に来て、寝っ転がってテレビを見ているのを見たときはうれしかった。いつも周りを見ながら気を遣って、評価されなくてもいいから嫌われたくないと思って生きてきた彼が、すごく無防備な姿だったから。ずっとひとりでがんばってきたんだなと感じましたね」

 伴侶を得た彼は、ようやく精神的に落ち着いていく。有香さんは中学生になったばかりのころ、テレビで美空ひばりの歌を聴き、心を震わせたことがあった。それ以来、「崇拝している」のだそう。「ファン目線」をもっている有香さんに、加藤も徐々に頼るようになった。誰も信じられず、ひとりで「美空ひばり」を守っていくしかないと覚悟を決めた加藤が、ひばりの十三回忌の大イベントから有香さんに意見を聞くようになったのだ。有香さんも店を辞めて、ともにひばりを守ることを決めた。

記念館の仏壇前には多くのファンが訪れる 撮影/伊藤和幸
記念館の仏壇前には多くのファンが訪れる 撮影/伊藤和幸
【写真】記念館になっている「ひばり邸」

 内に向いていた目が、外に向かって開かれるようになっていく。前出の小西さんは、ひばりさんが亡くなって10年ほどたったころ、突然、加藤から連絡があって再会したのをよく覚えている。

スーツを着て深々と頭を下げて、“あなたはばあちゃんやおふくろと付き合ってきた人だけど、僕が甘えてもいいだろうか”と。10年彼なりにがんばってきたんだろうけど、漠然と不安があったんじゃないですかね。ひばりさんのイベントを今後どうやっていったらいいかも含めて、これからのことを相談されました。この10年、苦労したんだなとわかった。何があったかは知らないよ。彼はそういうことは言わないから。あいつの魂の遍歴は、オレにとっても謎なんだ(笑)」