志保さんが亡くなった場合、息子の親権は?

 ところで、がんの経験から得られるものを「キャンサーギフト」といいます。例えば、精神的な強さや前向きな価値観、そして闘病を通じて知り合った友人などですが、志保さんの場合は離婚でした。これは、がんのおかげで得たものではなく、がんのせいで失ったものなので、もはやギフトとは反対の代物でした。志保さんは病院で日常生活に戻ることができたがん患者に出会うたび、虚しい気持ちに支配され、激しく落ち込み、心身ともにむしばまれていったのです。

「動けるうちにどこに行こうかしら」
「会いたい人には会っておかないとね」
「半年後にはホスピスかもね」

 夫に離婚を切り出されてから、そんなふうに志保さんは弱音をこぼすことが増えていったのですが、筆者が最も心配していたのは「もしも志保さんが亡くなった場合、息子さんはどうなるのか」です。死の恐怖に直面している志保さんに向かって、「もし死んでしまったら」という後ろ向きな言葉、そして最悪のタラレバは伝えたくはなかったのですが、息子さんの将来を考えると見過ごすわけにはいきません。

「万が一のとき、このままでは(離婚せずに婚姻関係を続けると)息子さんは旦那さんのところへ連れて行かれますよ」

 筆者は心を鬼にして志保さんへ言葉を投げかけました。日本の制度では結婚している間、夫と妻のどちらも親権を持っています。しかし、夫婦離婚すると片方が親権を失います(=単独親権)。離婚せずに志保さんが亡くなった場合、親権者は夫しかいないので、夫が息子さんを引き取りますが、本当に大丈夫なのでしょうか?

 闘病中の妻を追い詰めるために手段を選ばない非情すぎる夫。そして同じ女性なのに子宮がんを患った妻に気兼ねせず不倫に興じる女……。息子さんはうすうす、父親の裏切りに勘づいているので、万が一のことがあれば、息子さんは父と愛人を「母の仇(かたき)」だと思うでしょう。とはいえ夫に引き取られた場合、夫の経済力、女の家事力に頼らなければならないので息子さんは無力感に苛まれるでしょうし、同じ空気を吸うのは吐き気がするはずです。

息子を守るため、夫からの離婚要求に応じる

 筆者は志保さんにこう言いました。

「相手の女は“自分の息子として育てていくんだから、頑張ろう”と思うでしょうか? 想像してみてください」

 もし不倫相手の女が離婚ではなく死別で「妻の座」を手に入れた場合、何の責任もとらずに済むので、「不倫略奪」に対して反省など微塵もしないでしょう。そもそも女にとって息子さんは「本妻の子」。息子さんから志保さんの面影を感じるたびに不快感が伴うので、邪魔な存在に感じるはず。そのため、女が継母となれば息子さんをいじめる可能性が高く、「生き地獄」のような日々が待っています。

 志保さんが「息子を夫に渡したくないです! 母に任せたいと思っています」と言うので、筆者は息子さんを守るため、夫からの離婚要求に応じてはどうかと諭したのです。

 夫は息子さんの親権を要求し《湊はこっちで育てるからさ》とメールしてきましたが、別居する段階で豪語していた「お前たちに縛られたくない」という言葉と相反します。本当に息子さんを引き取って育てようという気持ちはなく、「妻の言いなりになりたくない」と思って口を滑らせただけ、ということは明らかでした。

 実際に「夫の不倫」で離婚するのなら当然、慰謝料が発生します。しかし、志保さんは慰謝料より息子さんのほうが大事なので、離婚に応じるだけでなく慰謝料も請求しないことを伝えると、夫が署名済の離婚届を送りつけてきたそうです。親権者の欄には何も書かれていなかったので、志保さんは親権者を「母親」の欄に書き、市役所へ提出したのです。