「備えあれば憂いなし」は一種の義務

 マスク不足に直面しながら、日本の企業、地方自治体、各種機関の多くが自分たちの災害用備蓄物資だったマスクを中国に寄付した。

 このことと同じく印象深いのは、寄付されたマスクがわずか数日で集められたということだ。市場の小売業者から調達したものもあるが、企業や自治体の災害用備蓄物資の方も多い。日本社会のマスクをめぐる姿勢は、日本人の「自分のことは自分でしっかりやり、できるだけ他人に迷惑をかけない」という責任の意識と関係があるかもしれない。

 マスクをつけるというごく当たり前のことには、災害に直面した時には誰もが自分の身は自分で守らなければならないという危機に対する態度が反映されている。より重要なことは、準備をするのは平時ということだ。最悪のケースを想定し、着実に準備しておけば、備えあれば憂いなしとなる。

 災害への対応を日常の中に落とし込むことで、人々の自信はより高まると考えられる。こうした社会のムードの中、憂いがなくなるように備えることが徐々に全国民の義務になっていった。

 茨城県中部にある水戸市は最近、中国の重慶市にマスク5万枚を寄付した。日本メディアが伝えたところでは、この5万枚は同市が普段から備蓄している災害用物資のマスク15万枚の一部だという。ちなみに水戸市の常住人口は27万人だ。

 このケースから日本の地方都市のマスク備蓄の1人あたり平均枚数をうかがうことができる。地方自治体の備蓄に民間の備蓄も加えると、この数字は実際にはもっと大きくなるとみられる。

 実際、インフルエンザや花粉症の季節には、公共衛生の観点からの予防意識と日本国民の自律性が、徐々に日本社会の共通認識に変わっていく。長い歴史の中、マスクは「疾病予防の用品」から「日用品」へと徐々に転換していった。