《男子校で有り難かったですよ。キャーキャー言う人がどこにもいない(笑)》

 ジャニーズタレントにおいて頭脳派として知られる櫻井翔。彼が長年、『news zero』(日本テレビ系)のキャスターを務めていられるのは、努力と実力もさることながら“母校”を卒業したことも自信になっているのかもしれない。

 この度、そんな櫻井が“学び舎”として過ごした、慶應義塾の機関誌『三田評論』における連載企画《話題の人》に登場。櫻井が高校3年時に授業を受けもった“恩師”である、同校の名誉教諭・石川俊一郎氏のインタビューに応えたのだ。

「彼が高3のとき、つまり1999年は嵐がデビューした年です。どこに行っても黄色い声援を浴び、女性ファンに追われる生活を送っていた彼にとって、気心知れた同級生がいる、しかも男子校は“避難所”にもなっていたのかもしれません」(アイドル誌編集者)

 アイドル業をこなしながらもナント、無遅刻無欠席を続けていたという櫻井。しかし、多忙極める仕事だけに、学生生活との切り替えには苦労したようだ。

《きつかったのは、高校3年と、大学の2、3年ですね。高校の時は、デビューしばかりで、仕事のペースも分からない。でも学生だから学校を休むわけにはいかず、いわば初めての両立という意味で大変でした》

 石川先生の授業でも度々居眠りをしていた櫻井。周囲の学友が起こそうとするも、《櫻井くんは皆にはできない体験をしている。これは彼にとって将来糧になることだから起こすな》と、先生は許容していたのだという。

息子は将来、外交官になるものと

 一方で、慶應ならではの悩みも。幼稚舎から在籍していた櫻井と同様に、周囲には将来の政財界を担う“エリート”の息子たちばかりがいたわけだ。

《ジャニーズ事務所に入って芸能活動をするということは、当然、一部の先生や保護者の方々から多少なりとも良く思われていないところがあったと思うんです》

 彼の父・俊氏もまた、総務事務次官まで上り詰めたエリート中のエリート。当然、自分とはまったく違う進路を選ぼうとする息子に当初は困惑していたという。櫻井家を知る芸能関係者が話す。

当たり前のように“息子は外交官に”と思っていたお父さんは、“芸能活動は部活みたいなもの”“高校生を卒業したら辞めるだろう”とタカを括っていたそうです。そもそも、ジャニーズに入ったのも事後報告だったんですね。意外にも熱心な翔クンに対し、嵐を続ける条件として“学校はやめるな、絶対に大学まで卒業しろ”と課したそうです」

 この時のことを、櫻井自身も語っている。

《大学に入る時も、「もし嵐を続けるんだったら、留年したら学費は自分で払え」と親には言われました。それは、留年したら芸能活動させてもらえない、ということだなと思いました(笑)》