岐阜市で3月、長良川にかかる河渡橋の下で、野宿(ホームレス)生活をしていた渡邉哲哉さん(当時81歳)が、何者かに襲われ死亡した。

 新型コロナウィルスの世界的な感染拡大を受け、東京オリンピック・パラリンピックの延期が決まった翌日だった。報道はコロナ一色で、岐阜の「ホームレス殺人」は、大きく報じられることもなかった。

生き証人に話を聞く

 世間が注目したのは、その1か月後。4月、地元の朝日大学(瑞穂市)の学生2名を含む19歳の少年5人が殺人や傷害致死の容疑で逮捕された。

 5人のうち4人が朝日大学の硬式野球部員と元野球部員(大学中退)で、残る1人も高校時代は野球部所属。全員、高校は違ったが、野球を通じた友人関係だったという。

 少年らは事件の夜、橋の下で野宿していた渡邉さんに、石を投げるなどの暴行を加え、うち3人が約1キロにわたって追いかけ、渡邉さんを路上に転倒させ、頭部に強い打撃を与えて死亡させたとみられる。

 事件はインターネット上でも大きな反響を呼び、容疑者の少年らに関する不確かな情報も多数拡散した。

 私はこの25年間、各地の「ホームレス襲撃事件」を取材し、野宿者への差別・偏見による、子どもたちの襲撃を止めるために「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」を立ち上げ、人権教育の取り組みをすすめてきた。

 岐阜の仲間からは、「まさか自分の町で起こるとは」と連絡が入り、渡邉さんと一緒に生活していた女性・Aさん(68歳)に会えたので、ぜひ話を聞いてほしいと頼まれた。“生き証人”がいてくれたため、私は急ぎ、岐阜の現場へと向かった。

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 渡邉さんとAさんが暮らしていた河渡橋西詰の下には献花台が置かれ、多くの花束やお菓子、缶コーヒーなどが供えられていた。

 出迎えてくれたAさんは、小柄で、若々しく、凛とした、強いまなざしを持った女性だった。事件後も気を張ってこられたのだろう。気丈な笑顔に「よく生きていてくださいました。ありがとうございます」と伝えながら、私のほうが崩れそうになった。

 渡邉さんとAさんは「夫婦」関係ではなく、生計も別、互いに独立しながらも、何かあれば助け合う、同じ橋の下に暮らす同志でありハウスメイトのようでもあった。

 Aさんは青いテントの中で眠り、渡邉さんは少し離れた一段高いアスファルトの上に、毛布をかぶって野宿していた。

 ふたりは約20年前から、この橋の下で生活してきた。Aさんは、ストーカー被害から逃れて「家族だった犬とふたりで、転々とした」果てに、ここにたどりついた。路上生活でも、さまざまなセクハラ被害にあってきたAさんだが、

「渡邉さんは、紳士だった。たまに“もっと清潔にしてよ”って口喧嘩することはあったけど、私が嫌がることはしなかった。お酒もたばこもやらない。捨て猫たちの世話をして、働き者で、優しい人だった」

 という。現金収入は、自転車で集めたアルミ缶を業者に運び、15キロで1000円ほど。大半が4匹の猫の餌代に消え、娯楽といえば、たまに喫茶店で好きなコーヒーを飲んだり、図書館で借りてきた小説や仏教の本などを読むことだった。