渡邉さんの家族や経歴については、詳しく聞いたことはないという。ただ、昔から動物が好きで、保護猫のボランティア活動をしていたらしい。行政職員から、生活保護を受けてアパートに入ることをすすめられても、猫たちを置いてはいけないからと断り続けていた。

3月に4度も投石、頼りにならない警察

 事件後、献花にやってくる人が後を絶たない。ひとりで訪れた近所の女子高校生(16歳)は、幼いころ、道路に飛び出したところを渡邉さんに救われたという。花束に添えたカードには、

「もう覚えてないかもしれませんが私が小さいとき、車にひかれそうになったところを助けていただき本当にありがとうございました。来世では幸せに暮らせますように」

近所の女子高生が献花に添えたカード(筆者撮影)
近所の女子高生が献花に添えたカード(筆者撮影)
【写真】被害者が暮らしていたテントや、哀悼の手紙の数々

 父親から「お前が、今こうして生きていられるのは渡邉さんのおかげなんだ」と教えられた。その命の恩人が、まさか殺害されるとは思わなかったと肩を落とす。

 Aさんが大切に保管している、渡邉さんの死後に届けられた手紙4通を見せてもらうと、

「命と引きかえに一緒に生活してきた女性と、大切な猫たちを守ってくれて本当にありがとう。一生懸命生きてきた優しい人の命が奪われてとても悲しくて悔しいです」

 と、どの手紙にも「ありがとう」の文字が綴られる。

 母親と一緒に、飲み物などを持ってやってきた中学2年生の男子は、生前の渡邉さんを「公園の水道で身体をふいたりしているのをたまに見かけていた」という。石を投げる少年の気持ちがわかるかと尋ねると「わからん。信じられん。そんなやつは俺の友達にもおらん」と下を向いた。

 では渡邉さんのことをどんな存在だと思っていたのかと問うと、「普通。風景のひとつ、みたいな感じ。なじんどった」と言った。その言葉に、ほっと、救われる気がした。

 軽蔑でもなく、同情でもない。ただあるがまま、その存在を「馴染み」のものとして、当たり前の日常として、自然に受け止めている少年もいた。

 事件の夜、いったい何があったのか。Aさんに話を聞いた。

 ふたりは3月だけでも少なくとも4度、投石を受け、そのたびに警察に通報し助けを求めていた。通報も容易ではなく、携帯電話を持っていない彼らは、襲われるたびに1キロ以上先のコンビニまで走り、店員に携帯を借りて110番していた。

 それは、3月12日、13日、20日、22日、と、連日くり返されていた。「犯人たちはきっとまた来るから、見張ってほしい」と警察に頼んだが「いたちごっこになるから、(Aさんたちのほうが)ここを出ていけ」と言われたという。

 事件の前日には、「今日は見張るからとパトカーが1台来たけど、2時間ほどでまた、用があるからと帰ってしまった」

 そして翌日、事件は起きた。