'20年6月下旬、都知事選に向け街頭演説で熱く訴える山本太郎
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貧困・格差に対峙する姿への共感

 以上、1年前のれいわ支持者たちの声を紹介した。ここからは、都知事選で見えてきた山本氏への期待と課題について考えたい。
 
「引き続き支持する」と答えた人の多くは、新型コロナで一層、深刻化した貧困・格差の問題をなんとかしたい、という山本氏の姿勢に共感をおぼえていた。

《2週間、路上で命を繋ぐ自信がある人います? 無理ですよ。盗むか、餓死するかしかないでしょ。総理大臣めざすと言ってたけど、目の前にそんなに苦しんでいる人たちがいるなかで“ちょっと待ってね、次の衆議院選挙で自分たちの議席をちょっとでも増やして”という話にはなんないですよ。もしも東京都の知事という座をつかめるならば、すぐにでも予算を投下できるでしょ。手を差し伸べられるでしょ》(6月16日、東京・北千住で行われた街頭演説より)

 確かに、困窮する人々への支援は最優先で行われるべきだろう。そのことを語る山本氏の言葉と表情には、昨年と同じ熱量、本気さが見てとれる。

 一方、参院選のときのようには熱心に支持できないと語る人もいる。それは、なぜなのか。都知事選に向けたこの夏の山本氏の演説には「大切な何かが足りない」と私は感じている。昨年の参院選を振り返ってみる。

 ひとりで政治団体を立ち上げた山本氏は、全国各地で街頭演説を行い、わかりやすさと熱さを兼ね備えた言葉で、人々の心をとらえた。その勢いをさらに盛り上げたのが、候補者の人選だった。前述の渡辺氏や三井氏をはじめ、元東電社員で拉致被害者家族の蓮池透氏や、創価学会員でありながら公明党に反発する野原善正氏が選ばれた。さまざまな問題の当事者たちが上げる切実な声は、聞く者の心を動かした。

 もっとも象徴的だったのが、ALS患者の舩後氏と重度障害者の木村氏だ。2人に特定枠(比例代表で、政党が当選者の優先順位をあらかじめ決めることができる制度)を使って優先的に当選させたことで、山本氏の「生きててくれよ!」は単なるキャッチフレーズではなく「存在しているだけで人間は価値がある」という信念がベースにあることが示された。これは貧困、障害、性の悩みなど、現代社会にはびこる生きづらさをカバーする普遍的な言葉だった。例えば「お金はあっても心が満たされない」といった、うっ屈とした思いを抱える人まで射程におさめた。

 新型コロナの悪影響は「お金」に関することばかりではない。自粛できない人に向けられる非難の目。感染者への差別。未知のウイルスは“疑心暗鬼社会”を出現させた。人びとは友だちと会う機会を失い、ゴールデンウィークに帰省することもできなかった。特にダメージを受けたのが、もともとケアを必要としている人だ。介護施設の入居者は家族と面会できなくなった。生きていれば誰でも享受できるはずのサービスが「感染対策」を理由にストップした。生きづらい人びとが、さらに生きづらくなった。

 困窮者への支援は最優先だ。しかし同時に、社会を新型コロナが襲った今こそ「存在しているだけで人間は価値がある」という根源的なメッセージが必要とされている。山本氏は、これをわかりやすく発する素地(そじ)を持っているはずだ。だが、この夏の都知事選では、そのメッセージがやや弱いように感じる。心が離れた支持者のなかにも、同様の思いを抱いた人がいるのではなかろうか。

 個人的には、山本氏が都知事選に出ると知り「巨大都市・東京」を解体させる議論を引き起こすのではないかと期待した。日本社会の最大の課題のひとつが「東京への一極集中」だと思うからだ。東京に人もモノも集まっているのは事実だが、かと言って「都民がいちばん幸せ」というワケでもない。家賃は高く、満員電車はつらい。新型コロナの問題で都市型生活の脆弱さを実感した人も多いはずだ。

 いま方向性として目指すべきは、東京を富ませることではなく“地方への分散”だと思う。昨夏のれいわ新選組も同じ方向性を持っていたはずだ。わかりやすい例が「最低賃金全国一律1500円」である。賃金格差が一気に縮まれば、地方住まいのハードルは低くなるだろう。当面は目の前で倒れそうな人々を全力で救う。そのうえで、東京の魅力を高めるのはほどほどにし、地方との格差を縮めることに力を尽くす。このように既存の価値観を揺さぶる大胆な提案があってもいいのではないか。

 私が考える「れいわ現象」とは、人々が生きづらい現状に「ノー」を突きつけることだ。彼が昨夏の参院選で、その火付け役を担ったことは間違いない。だからこそ、れいわ新選組と山本氏がどこに向かうのか。今後も注視を続けなければならない。

(取材・文/ジャーナリスト・牧内昇平)